大東(だいとう)は、日本海軍の海防艦。普遍的には日振型海防艦の2番艦とされており、本艦を鵜来型海防艦に含める文献も存在するが、海軍省が定めた艦艇類別等級では御蔵型海防艦の9番艦。

大東
基本情報
建造所 日立造船桜島造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
級名 御蔵型海防艦
建造費 5,112,000円(予算成立時の価格)[注釈 1]
艦歴
計画 マル急計画
起工 1944年4月17日[1][2]
進水 1944年6月24日[1][2]
竣工 1944年8月7日
最期 1945年11月16日触雷沈没
除籍 1945年11月20日
要目(竣工時)
基準排水量 940トン
全長 78.77m
最大幅 9.10m
吃水 3.06m
主機 艦本式22号10型ディーゼル2基
推進 2軸
出力 4,200hp
速力 19.5ノット
燃料 重油 120トン
航続距離 16ノットで5,000カイリ
乗員 定員149名[注釈 2]
兵装 45口径12cm高角砲 連装1基、単装1基
25mm機銃 3連装2基
九四式爆雷投射機2基
爆雷120個
単艦式大掃海具1組
搭載艇 短艇3隻
レーダー 22号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機1基
九三式水中探信儀1基
テンプレートを表示

建造に至る経緯

編集

マル急計画の海防艦甲型、第310号艦型の24番艦[注釈 3]、仮称艦名第333号艦として計画。1942年2月14日、海防艦乙型(基本計画番号E20)の基本計画の決定により第322号艦型に計画変更[注釈 4]。1943年7月5日、海防艦改乙型(基本計画番号E20b)の設計が完了したため、第310号艦型と第320号艦型の未起工艦のうち8隻は基本計画番号E20bに従って建造されることになったが、日立造船に建造が割り当てられた本艦を含む3隻は用兵側から要望のあった掃海具を装備し、三式爆雷投射機装備型と並行して建造されることになった。

艦歴

編集

1944年4月17日[1][2]、日立造船株式会社桜島造船所で起工。6月5日、大東と命名。本籍を佐世保鎮守府と仮定され、御蔵型海防艦の9番艦に定められる。24日[1][2]、進水。8月7日竣工し、本籍を佐世保鎮守府、役務を佐世保鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。同日付で呉防備戦隊に編入され、軍隊区分豊後防備部隊第二部隊の呂号第五百潜水艦を相手に基礎術力練成教育にあたる。

9月11日、海上護衛総司令部第一海上護衛隊に編入。12日から15日まで呉海軍工廠で整備し佐世保へ回航。23日、ミ21船団を護衛するため佐世保発、高雄まで同船団に同行し、高雄からはタマ28船団を護衛。マニラ到着後にサンジャックへ向かい、10月22日にヒ76A船団と合流した。28日まで同船団に同行してから分離し、30日にタモ27船団を護衛し高雄発、11月5日門司着。6日から10日まで佐世保海軍工廠で修理整備。15日、新編された第百一戦隊に編入。以後内地-台湾間の護衛に従事。

1945年1月12日、ヒ86船団を護衛中に空襲を受け、鵜来ら残存艦とともに海南島楡林へ向かう。14日から20日まで楡林の海南海軍工作部で応急修理。21日、ユタ15船団を護衛し楡林発。泗礁青島を経由して2月7日に大東湾着。2月12日から3月6日まで佐世保海軍工廠で入渠修理。入渠中の2月12日から26日まで第八〇一海軍航空隊作戦指揮下に編入。3月10日、モシ01船団(復航はシモ01船団)を護衛して上海に向け門司発、24日に門司帰着。25日、第百一戦隊は戦時編制から除かれ、大東は第一護衛艦隊に編入。4月25日、第二十二海防隊に編入、鵜来とともに隊内区分第二小隊に配される。終戦時は小樽に所在。8月25日、佐世保鎮守府第一予備海防艦に定められる。

11月16日、対馬海峡東水道で掃海作業中に触雷し沈没。艦長の西部貞三少佐以下26名が殉職した。20日、帝国海防艦籍から除かれた。

海防艦長

編集
艤装員長
  1. 内崎強 大尉:1944年7月5日 - 1944年8月7日
海防艦長
  1. 内崎強 大尉/少佐:1944年8月7日 - 1945年5月20日
  2. 西部貞三 少佐:1945年5月20日 - 1945年11月16日 殉職、同日付任海軍中佐

注釈

編集
  1. ^ これは第310号艦型の価格であり、基本計画番号E20bとしての価格ではない。
  2. ^ この数字は特修兵を含まない。
  3. ^ マル急計画の当初計画での番数。
  4. ^ のち、基本計画番号E20の建造は予定を繰り上げて第320号艦を第1艦とした。

脚注

編集
  1. ^ a b c d 『昭和造船史 第1巻』、p. 828。
  2. ^ a b c d 『写真 日本海軍全艦艇史』資料篇、p. 22。

参考文献

編集
  • 海軍省
    • 昭和18年10月30日付 内令第2241号。
    • 昭和19年6月5日付 達第181号、内令第734号、内令第738号、内令員第971号。
    • 昭和19年8月7日付 内令第932号、内令員第1438号、内令員第1439号。
    • 昭和20年4月25日付 内令第356号。
    • 昭和20年8月25日付 内令第747号。
    • 昭和19年7月10日付 海軍辞令公報 甲 (部内限) 第1531号。
    • 昭和19年8月13日付 秘海軍辞令公報 甲 第1562号。
    • 昭和20年6月3日付 秘海軍辞令公報 甲 第1817号。
    • 呉防備戦隊戦時日誌。
    • 第一海上護衛隊戦時日誌。
    • 第一護衛艦隊戦時日誌。
    • 第二十二海防隊戦時日誌
  • 第二復員省
    • 昭和21年1月26日付 第二復員省辞令公報 甲 第44号。
  • 防衛省海上自衛隊
    • 航路啓開史、2012年 [1]
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』、出版共同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 坂本正器/福川秀樹 『日本海軍編制事典』、芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4-8295-0330-0
  • 世界の艦船 No. 507 増刊第45集 『日本海軍護衛艦艇史』、海人社、1996年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 防衛研修所戦史室 『戦史叢書』。
    • 第31巻 『海軍軍戦備(1) -昭和十六年十一月まで-』、朝雲新聞社、1969年。
    • 第46巻 『大本営海軍部・聯合艦隊(6) -第三段作戦後期-』、朝雲新聞社、1971年。
  • 丸スペシャル No. 28 日本海軍艦艇シリーズ 『海防艦』、潮書房、1979年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。