大村薬局 (鳥取県)
鳥取県
有限会社大村薬局(おおむらやっきょく)は、鳥取県鳥取市片原3丁目にある薬局・薬店。かつては医薬品・衛生材料の卸売を中心とする企業であった。卸売部門の後身である「新和薬品」は現在、東邦薬品グループの一社「セイエル」であるが、当時の営業所はアルフレッサグループの「ティーエスアルフレッサ」に継承されている。医薬品の卸売手。地盤は鳥取。
種類 | 特例有限会社 |
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本社所在地 |
日本 〒680-0023 鳥取県鳥取市片原三丁目201番地 北緯35度30分10.2秒 東経134度13分53.7秒 / 北緯35.502833度 東経134.231583度座標: 北緯35度30分10.2秒 東経134度13分53.7秒 / 北緯35.502833度 東経134.231583度 |
設立 | 1632年創業、法人化1960年 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 6270002000346 |
事業内容 | 医薬品小売業(薬局・薬店) |
代表者 | 代表取締役社長 大村匡由 |
資本金 | 1000万円 |
沿革
編集- 1632年(寛永9年) - 藩御用の薬種商として、現在地に「大和屋」が創業[1]。
- 1912年(大正元年)10月 - 塗料販売業を分家し、現在の大村塗料株式会社となる[2]。
- 1960年(昭和35年)- 有限会社大村薬局に改組。
- 1969年(昭和44年) - 鳥取県の「大村薬局」(鳥取市)卸部門・「林兼太郎薬局」(鳥取市)卸部門・「河本蘇生堂薬局」(倉吉市)卸部門が合併し「サンユー薬品株式会社」設立し「鳥取本社」・「倉吉営業所」を新築設立
- 1975年(昭和50年) - 岡山県岡山市の「新和薬品株式会社」に「鳥取本社」・「倉吉営業所」を譲渡し「新和薬品・鳥取支店」「新和薬品・倉吉営業所」として発足し鳥取支店長・倉吉営業所長に大村大四郎が就任(大村大四郎・大村良造(後に辞任)・林兼之亮(後に辞任)が取締役に就任・河野重太郎は、合併と同時に取締役辞任)
- 1979年(昭和54年)3月 - 「新和薬品株式会社」の鳥取県の「鳥取支店」・「倉吉営業所」を広島県の成和産業(現:ティーエスアルフレッサ)に譲渡し、大村大四郎が取締役を辞任
主な取引メーカー (医薬品卸部)
編集昭和20年~30年までの有力薬種卸業社
編集東部
編集- 池田薬局・医薬品卸部(鳥取県鳥取市今町1-40)代表者・池田雄次郎(卸部門は林薬品に譲渡)
- 山田愛国堂薬局・医薬品卸部(鳥取県鳥取市今町2-112)代表者・山田芳蔵(卸部門は廃業)
- 林兼太郎薬局・医薬品卸部(鳥取県鳥取市川端4-94)代表者・林兼太郎(卸部門はサンユー薬品として発足)
- 乾薬局・医薬品卸部(鳥取県鳥取市立川4-129)代表者・乾敏彦(卸部門はサンコー薬品に譲渡)
- 萩尾薬品・鳥取営業所(鳥取県鳥取市吉方787)代表者・萩尾千秋(鳥取営業所は日本海薬品として発足)
中部
編集- 河本蘇生堂薬局・医薬品卸部(鳥取県倉吉市東仲町)代表者・河本重太郎(卸部門はサンユー薬品に譲渡)
- 小林薬局・医薬品卸部(鳥取県倉吉市明治町)代表者・小林良治(卸部門は王水堂薬品に譲渡)
- 富谷薬局(鳥取県倉吉市広栄町)代表者・富谷義郎
西部
編集- 稲田松太郎薬局・医薬品卸部(鳥取県米子市紺屋町1)代表者・稲田松太郎(卸部門はサンコー薬品に譲渡)
- 増谷薬局・医薬品卸部(鳥取県米子市角盤町1-99)代表者・増谷慶一郎(卸部門は王水堂薬品に譲渡)
- 王水堂薬品・米子出張所(鳥取県米子市尾高町3)代表者・長谷川博
- 島田薬局・医薬品卸部(鳥取県米子市東倉吉町61)代表者・島田鉄雄(卸部門は林薬品に譲渡)
- 木下薬局・医薬品卸部(鳥取県米子市西倉吉町)代表者・木下貞徳(卸部門は廃業)
- 協薬(鳥取県米子市糀町2)代表者・杉原長市
- 広島血液銀行山陰支社(鳥取県米子市天神町2-36)代表者・土谷剛治(血液業務から撤退しジェイ・エム・エス設立)
- 山陰ブラット商会・米子出張所(鳥取県米子市尾高33)代表者・武部勝義(米子出張所は成和産業に譲渡)
参考文献
編集- 『WHO'S WHO 1985 10周年記念誌』鳥取県東部中小企業生年中央会、1985年。