大村松二郎

日本の海軍軍人

大村 松二郎(おおむら まつじろう、1851年嘉永4年〉[1] - 1879年明治12年〉12月25日[1])は、日本の海軍軍人。階級は少佐政治家大村益次郎の養子であり、山本藤右衛門の子である[1]

 
大村 松二郎
大村松二郎肖像 撮影者:ビリングハム
時代 江戸時代末期-明治時代初期
生誕 1851年
死没 1879年12月25日
改名 山本 松二郎→大村 松二郎
別名 山本 松二郎
官位 従六位
氏族 山本氏大村氏
父母 父:山本藤右衛門、養父:大村益次郎
養子:大村寛人
テンプレートを表示

生涯

編集

嘉永4年(1851年)に武士・山本藤右衛門の子として生まれる[1]大村益次郎の養子となり、益次郎の死後、明治2年(1869年)12月20日に大村家を継ぐ[2]アメリカ合衆国に留学し、海軍兵学校で学んだ後、明治6年(1873年)にイギリスに留学。プリマスを拠点として学んだ。また(1877年)の西南戦争の初め頃に帰国[2]神戸において海軍少佐となり、4月16日に従六位に叙される[2]筑波、次いで乾行に乗船した後、孟春の艦長となる[2]。明治12年(1879年)に勲五等双光旭日章を受章[2]。同年12月25日に海軍病院で病没[2]。享年28。

家督は養子の寛人(元長州藩士・亀山教霖の子)が継ぎ[3]、1888年に子爵に叙された[4]

脚注

編集
  1. ^ a b c d 霞会館 1996, p. 328.
  2. ^ a b c d e f 国民過去帳 明治之巻』(尚古房、1935年)p.137
  3. ^ 国民過去帳 明治之巻』(尚古房、1935年)p.355
  4. ^ 『国民過去帳 明治之巻』(尚古房、1935年)p.355-356

参考文献

編集

外部リンク

編集