大島高精
大島 高精(おおしま たかよし、1885年10月17日[1] - 1964年3月6日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集大分県佐伯市出身[3]。アメリカに渡り、ヴァンダービルト大学、シカゴ大学、コロンビア大学大学院で学ぶ[2]。帰国後万朝報の記者となり、主筆となる[2][3]。その後、陸海軍の嘱託講師を経て[2]、関東軍、支那派遣軍、北支派遣軍の各司令部の嘱託となる[2][3]。
1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では郷里の大分1区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて立候補して当選する。翼政会政調陸軍委員となった[3]。戦後、推薦議員のため、公職追放となり[4]、追放解除後も立候補することはなかった。1964年(昭和39年)死去。
著書
編集脚注
編集参考文献
編集- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。