大岡 義居(おおおか よしすえ、享保2年(1717年[1] - 安永6年7月5日1777年8月7日))は、江戸時代後期の旗本大岡清春を家祖とする清和源氏新田氏族大岡氏分家の5代当主。通称は主殿、孫右衛門。隠居号は秀残。養父は大岡義利。実父は鈴木勝之(作大夫)。実母は青沼儀重(孫四郎)の娘。正室は義利の娘。継室は滝安昌(九郎左衛門)の娘。養子は大岡義安。実子は娘(義安の妻)、娘の女子2名。家禄は蔵米250俵。

生涯

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鈴木勝之(作大夫)の二男として生まれる。大岡義居の婿養子として寛保3年12月(1744年)に前月に死去した養父の跡を継ぐ。

延享2年(1745年)に大番士となり、宝暦元年(1751年)に番士を辞す。明和7年(1770年)に隠居し、婿養子の義安に家督を譲る。

安永6年(1777年)に死去する。享年61。法名は霊松。葬所は牛込の傳久寺。

脚注

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  1. ^ 寛政重修諸家譜』に記載の享年からの逆算。

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 第2』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻七十五