大塚操
大日本帝国陸軍軍人
大塚 操(おおつか みさお、1894年(明治27年)9月27日[1] - 1947年(昭和22年)4月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍法務少将。
大塚 操 | |
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生誕 |
1894年9月27日 日本 長野県 |
死没 |
1947年4月17日(52歳没) シンガポール チャンギー |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1942年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍法務少将 |
経歴
編集1894年(明治26年)に長野県で生まれた[1]。1941年(昭和16年)6月に朝鮮軍法務部長に就任し[2]、1942年(昭和17年)4月1日に法務官が文官から武官に改められると陸軍法務大佐となった[2]。1944年(昭和19年)3月1日に陸軍法務少将に進級し[2]、3月22日に第7方面軍法務部長(南方軍)として[1]、シンガポールに出征[3]。6月14日より兼第3航空軍法務部長となった[1]。
終戦後戦犯としてイギリス軍に逮捕された[4]。容疑は昭南陸軍刑務所事件が発生した昭南陸軍刑務所の監督責任を問われたとされているが[4]、具体的な罪状ははっきりしていないという[4]。裁判では絞首刑の判決が下り[5]、1947年(昭和22年)4月17日にチャンギ刑務所で執行された[1][2][5]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 伊藤禎 著『大東亜戦争 戦犯として処刑された陸軍将官36人列伝』展望社、2021年。ISBN 4885464056。