大和高田市立高田商業高等学校
大和高田市立高田商業高等学校(やまとたかだしりつ たかだ しょうぎょうこうとうがっこう、英: Yamatotakada Municipal Commercial High School)は、奈良県大和高田市材木町に所在する市立商業高等学校。略称は市商(いちしょう)または高商(たかしょう)、通称は後者である。
大和高田市立高田商業高等学校 | |
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北緯34度31分4.1秒 東経135度45分20.9秒 / 北緯34.517806度 東経135.755806度座標: 北緯34度31分4.1秒 東経135度45分20.9秒 / 北緯34.517806度 東経135.755806度 | |
過去の名称 | 大和高田市立商業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大和高田市 |
学区 | |
理念 | 社会の急激な変化に対応できる問題解決能力を身につけ、地域社会の発展に貢献できる次世代の商業人材の育成を目指す[1]。 |
校訓 | |
設立年月日 | 1954年4月1日 |
創立記念日 | 10月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 商業科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D129210000361 |
高校コード | 29132D |
所在地 | 〒635-0011 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
スクールミッション
社会の急激な変化に対応できる問題解決能力を身につけ、地域社会の発展に貢献できる次世代の商業人材の育成を目指す。
- 「主体的に学び続ける力」「他者と協働する力」「社会と関わる力」を養う。
- 将来のスペシャリストとして高度な専門的知識・技能を身につける。
- 地域に開かれた学校づくりを推進し、職業人に求められる資質・能力を身につける[1]。
教育目標
- 明るく・正しく・たくましく生きぬく意欲と態度を養う。
- 個性を伸ばし、深い情操と高い教養をもつ豊かな人間性を培う。
- 自主的・自立的で責任を重んじ、人権を尊重する実践力を育てる。
- 望ましいビジネスマンとしての資質を高め、自己実現をめざす能力を育む。
- 科学的思考力と正しい判断力を養い、なかま意識を育て、よりよい社会を創造する力を育成する[2]。
スクールポリシー
アドミッション・ポリシー
- 基本的生活習慣や規範意識等を身につけた生徒
- 明確な目的意識を持って、学校行事や部活動に積極的に取り組む生徒
- 商業の学習に興味・関心が高く、検定取得にも意欲的に取り組む生徒
- 好奇心・探究心やチャレンジ精神旺盛かつリーダーシップを発揮する生徒
- 多様な社会の変化に対応し、主体的・協働的に取り組む生徒[1]
カリキュラム・ポリシー
- 基礎学力の向上と専門性を追求した学力を高め、より高度な知識や技術の習得を目指す。
- 主体的・対話的で深い学びを通じて、思考力・判断力・表現力を身につける。
- 様々な活動を通して、将来の職業と進路目標を定め、多様な進路選択に対応する。
- 地域を理解し、地域・企業・大学等との協働により、専門知識・技能を活用した実践力を身につける[1]。
グラデュエーション・ポリシー
- 課題発見・解決のために主体的に考え、職業人に求められる社会性と倫理観を持つ。
- ビジネスマナーやコミュニケーション能力を身につけ、他者と協働できる力を持つ。
- 学業や部活動を通して、健やかな心身を育み、正しく強い意志を持つ。
- 高い志を抱き、あきらめず自ら考え行動し、本気でチャレンジする力を持つ[1]。
校訓
沿革
略歴
1954年(昭和29年)に、同市本町3丁目にて、「大和高田市立商業高等学校」が開校し、1958年に現在の校名に改称し現在地に移転。
年表
- 1954年(昭和29年)4月 - 大和高田本町3丁目の仮校舎で開校。校名を大和高田市立商業高等学校とする。
- 1956年3月 - 大和高田市材木町8番3号を校地と定め、校舎建築第一期工事着工が竣工。(普通教室12と図書館)
- 1957年3月 - 第二期工事が竣工(管理室・特別教室等の本館)。第一回卒業式を挙行。
- 1958年年
- 4月 - 校名を大和高田市立高田商業高等学校と改称。
- 5月 - 屋内体育館兼講堂が竣工。
- 10月 - 創立落成祝賀式を挙行。創立記念日とする(10月1日)
- 1960年年4月 - 新入生宿泊教育はじまる。
- 1962年年3月 - 産業教育調査に関して文部大臣より表彰を受ける。
- 1964年10月 - 創立10周年記念祝賀式を挙行。
- 1972年12月 - 格技場・部落研サークル室・部室等が竣工。
- 1973年10月 - 統計教育優秀賞として文部大臣賞統計協会長賞を受ける。
- 1974年年10月 - 創立20周年記念祝賀式を挙行。
- 1982年3月 - 校舎改築第一期工事が竣工(普通教室6・特別教室3)
- 1987年年3月 - 新校舎本館が完成。旧校舎より移転完了。
- 1988年6月 - セミナーハウス開館式を挙行。マーキュリーホールと命名。
- 1990年(平成2年)4月 - 正門移転が完成。
- 1998年10月 - 新体育館・格技室・部室が竣工。
- 1999年
- 2月 - 新駐輪場・校門周辺整備が竣工。
- 7月 - サブグランドが竣工。
- 2004年11月 - 創立50周年記念式典を挙行。
- 2007年11月 - 学校安全文部科学大臣表彰を受賞。
- 2015年2月 - テニスコート人工芝が竣工。
基礎データ
所在地
通学区域
- 奈良県内全域
- 設定無し[注釈 1]
アクセス
象徴
校章
校章の翼は飛躍を意味し、「ペンは剣よりも強し」(The pen is mightier than the sword.)ということわざから、文化を表したペンに高田市のマークをからませたもので、全体の形をギリシャ神話の商神ヘルメス(ローマ神話ではマーキュリー)が左手に持つ使節杖をかたどっている[3]。
マーキュリー像
商業と学術の神であるマーキュリー(ギリシャ神話のヘルメスのローマ名)の像は校庭に設置されており、翼のある帽子をかぶり、翼のある靴をはき、手に小杖を持っている[3]。
校歌
歌詞は2番まであり、校名は2度登場する[3]。
設置する課程、学科及び定員
生徒募集
入学者全国募集
以下の枠組みで特色選抜で全国募集を実施する。
- 奈良県外に居住している者で、ソフトテニス部に所属し、選手として3年間継続して活動する意欲がある者[4]
部活動
ソフトテニス(軟式テニス)が男女とも全国屈指の強豪である。特に男子は、1970年(昭和45年)のインターハイ男子団体初優勝以来、1986年(昭和61年)には、インターハイ男子団体3連覇を達成するなど、好成績を収め続け、2001年(平成13年)のインターハイにて、12回目の男子団体優勝を飾った。卒業生からも日本代表を輩出。また、日本一を決める大会である天皇杯・皇后杯全日本ソフトテニス選手権のタイトル保持者も数多い。
野球部も、1962年(昭和37年)の第34回選抜高等学校野球大会初出場以来、夏の甲子園は1963年(昭和38年)の第45回大会に1度出場している。センバツは1994年(平成6年)の第66回大会以来出場はなかったが、2017年(平成29年)の第89回大会に23年ぶり3回目の出場を決めた。近年では、56年ぶり夏の甲子園進出を目指した2019年(令和元年)第101回大会と、その年の選抜でベスト4に進出した天理を準決勝で逆転サヨナラ勝ちした2021年(令和3年)第103回大会に奈良大会決勝まで進出するも、いずれも智弁学園に敗れ準優勝に終わっている。著名な出身者に元横浜DeNAベイスターズの三浦大輔がいる。
弓道部も、2012年(平成24年)のインターハイで男子団体が優勝した。
その他の部活動も、例年多くのクラブが全国大会・近畿大会などへ出場しており、非常に活発である。
高校関係者と組織
高校関係者組織
- 大和高田市立高田商業高等学校学校運営協議会 - 保護者、地域住民、校長、関係行政機関の職員の中から委嘱された委員による機関。学校運営及び当該運営への必要な支援に関して協議する。
- 大和高田市立高田商業高等学校同窓会 - 卒業生による同窓会組織。
- 大和高田市立高田商業高等学校PTA - 生徒保護者と教員による父母と教師の会(PTA)組織で、会員は入会金及び年会費を納入する。
- 奈良県高等学校PTA協議会 - 奈良県立教育研究所内に事務局を置くPTA協議会。高田商業高等学校PTAの会員をもって会員とし、会員は単位PTA分担金として会費を納入する。
高校関係者一覧
著名な出身者
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 大和高田市立高田商業高等学校 - YouTubeチャンネル