大原英二

日本の将棋棋士

大原 英二(おおはら えいじ、1929年1月10日 - 2001年7月13日)は、将棋棋士野村慶虎七段門下。棋士番号は72。高知県高岡郡越知町の生まれ。

 大原英二 七段
名前 大原英二
生年月日 (1929-01-10) 1929年1月10日
没年月日 (2001-07-13) 2001年7月13日(72歳没)
プロ入り年月日 1956年2月18日(27歳)
引退年月日 1990年3月31日(61歳)
棋士番号 72
出身地 高知県高岡郡越知町
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 野村慶虎七段
段位 七段
棋士DB 大原英二
戦績
通算成績 295勝 328敗 (818対局、勝率0.360)
竜王戦最高クラス 6組
順位戦最高クラス B級2組
2017年8月24日現在
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棋歴

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1950年、アマ名人戦で高知県代表となり[1]、1951年、4級で同郷の野村慶虎に入門。

1956年2月18日、27歳でプロ入り。

第14期(1959年度)C級2組順位戦で10勝3敗・2位の成績を挙げ、初昇級。勝てば昇級(自力昇級)という状況で迎えた最終局で佐藤大五郎(1位で昇級)に勝ち、同じく最終局で勝って10勝3敗とした内藤國雄との接戦の昇級争いを制した。

第7回(1963年度)古豪新鋭戦で決勝進出。佐伯昌優に敗れて準優勝。

第18期(1963年度)C級1組順位戦で、開幕7連勝から9勝2敗・1位の成績を挙げ、35歳で自己最高のB級2組へ昇級。

第3回(1976年度)名棋戦で、準々決勝に進出。

第5回(1978年度)名将戦の予選で谷川浩司らを下し、本戦では2回戦進出(内藤國雄に敗れる)。

1979年度、テレビ棋戦の早指し将棋選手権(第13回)で予選を突破。さらに、本戦1回戦で勝利。2回戦で同郷の森雞二に敗れる。

1990年、現役を引退

棋風

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居飛車党で、矢倉角換わり、対振り飛車急戦を多く指し、激しく戦う棋風

昇段履歴

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主な成績

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  • 通算成績 295勝 523敗 勝率0.360 [2]

棋戦成績

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[3]
(出典)竜王戦
出典[4]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1956 11 C220
1957 12 C213
1958 13 C208
1959 14 C208
1960 15 C111
1961 16 C107
1962 17 C104
1963 18 C109
1964 19 B212
1965 20 B209
1966 21 B210
1967 22 B219
1968 23 B210
1969 24 B213
1970 25 B204
1971 26 B213
1972 27 B206
1973 28 B211
1974 29 B212
1975 30 B219
(31-35期は欠番 / 30期の翌期は36期)
1976 36 C102
1978 37 C113
1979 38 C106
1980 39 C106
1981 40 C111
1982 41 C113
1983 42 C122
1984 43 C118
1985 44 C201
1986 45 C238
1987 46 C243 1 6組 --
1988 47 C241 2 6組 --
1989 48 C239 3 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

表彰

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脚注

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  1. ^ a b 平成10年版「将棋年鑑」
  2. ^ a b 「近代将棋」1990年5月号』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、219頁。
  3. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  4. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

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外部リンク

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