大利鼎吉

1842-1865, 土佐勤王党の一人

大利 鼎吉(おおり ていきち、天保13年(1842年) - 慶応元年1月8日1865年2月3日))は、土佐勤王党の一人。

文久3年(1863年)に脱藩。池田屋事件では武田観柳斎とみられる隊士と戦っている。禁門の変で敗走。その後、田中光顕らと大坂焼き討ちを計画するが、新選組に情報が洩れてしまう。新選組は石倉屋に踏み込み、大利は4人がかりで斬られ死亡する(ぜんざい屋事件)。享年24。死亡の前日(1月7日)に詠んだとされる「ちりよりも かろき身なれど 大君に こころばかりは けふ報ゆなり」という歌が残る。

明治31年(1898年)、正五位を追贈された[1]

脚注

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  1. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.11