大分県立大分鶴崎高等学校

大分県大分市にある高等学校

大分県立大分鶴崎高等学校(おおいたけんりつ おおいたつるさきこうとうがっこう, Oita Prefectural Oita Tsurusaki High School)は、大分県大分市南鶴崎三丁目に所在する県立高等学校

大分県立大分鶴崎高等学校
大分県立大分鶴崎高等学校
地図北緯33度14分16.912秒 東経131度41分29.724秒 / 北緯33.23803111度 東経131.69159000度 / 33.23803111; 131.69159000座標: 北緯33度14分16.912秒 東経131度41分29.724秒 / 北緯33.23803111度 東経131.69159000度 / 33.23803111; 131.69159000
過去の名称 大分県立鶴崎高等学校
大分県立東豊高等学校鶴崎校舎
大分県立鶴崎高等学校(再)
国公私立の別 公立学校
設置者 大分県の旗 大分県
併合学校 大分県立鶴崎中学校
大分県鶴崎高等女学校
大分県立鶴崎工業学校
校訓 克己・友愛・創造
設立年月日 1910年(明治43年)3月9日
大分鶴崎高校創立記念日 3月9日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D144210000068 ウィキデータを編集
高校コード 44121A
所在地 870-0104
大分県大分市南鶴崎三丁目5番1号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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設置学科

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概要

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略称
大分市内での通称は大分県立鶴崎工業高等学校(鶴工(つるこう))と区別するために、「鶴高」(つるたか)と呼ばれている。
歴史
1910年明治43年)創立の「大分県鶴崎高等女学校」と1942年昭和17年)創立の「大分県鶴崎中学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革の際に、以上の2校と鶴崎工業学校が統合され、新制高等学校「大分県立鶴崎高等学校」が発足。工業科は1961年(昭和36年)に大分県立鶴崎工業高等学校として分離。2010年平成22年)に創立100周年を迎えた。
校訓
「克己・友愛・創造」- 1973年(昭和48年)制定。
校章
と校名に入るを図案化したものを背景にして、中央に「高」の文字(旧字体)を置いている。
校歌
作詞は河西新太郎、作曲は長谷川良夫による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「鶴崎高校」が登場する[1]
同窓会
「鶴朋会」と称している。

沿革

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旧・鶴崎高等女学校
  • 1910年(明治43年)4月 - 鶴崎町立鶴崎高等小学校内に「附近六ヶ町村立鶴崎女子技芸補習学校」が開校。
  • 1911年(明治44年)4月 - 「鶴崎町他五ヶ町村学校組合立鶴崎実科高等女学校」と改称。
  • 1912年(明治45年)4月 - 「鶴崎町立鶴崎実科高等女学校」と改称。
  • 1921年大正10年)4月 - 「鶴崎町立鶴崎実科高等女子学校」が廃校となり「鶴崎町立実業補習学校」が開校。
  • 1931年昭和6年)5月 - 「大分鶴崎女子家政学校」と改称。
  • 1935年(昭和10年)4月1日 - 「大分鶴崎実科高等女学校」と改称。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 中等学校令の改正により、「大分県鶴崎高等女学校」と改称。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 閉校。
旧制・鶴崎中学校(男子校)
  • 1942年(昭和17年)
    • 3月 - 「大分県立鶴崎中学校」の設置が認可される。
    • 4月 - 開校。
    • 6月 - 「大分県鶴崎中学校」に改称(「立」が除かれる)。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 閉校。
旧・鶴崎工業学校
  • 1906年(明治39年) - 鶴崎町に「私立工業徒弟養成所」が設立される。
  • 1915年(大正4年)- 移管により「大分郡立工業徒弟養成所」に改称。
  • 1923年(大正12年)- 移管により「大分県立工業学校鶴崎分校」に改称。
  • 1931年(昭和6年)- 大分県立工業学校から分離し、「大分県立鶴崎工業学校」として独立。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 閉校。
新制・鶴崎高等学校
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)
      • 大分県立鶴崎中学校、大分県鶴崎高等女学校、大分県立鶴崎工業学校の中等学校3校を統合の上、「大分県立鶴崎高等学校」(新制高等学校)となる。
    • 11月 - 男女共学を開始。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 統合により「大分県立東豊高等学校鶴崎校舎」となる[2]
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 再び「大分県立鶴崎高等学校」として独立[2]
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 工業科が分離の上、大分県立鶴崎工業高等学校として独立。
  • 1964年(昭和39年)4月1日 - 「大分県立大分鶴崎高等学校」(現校名)に改称。
  • 1965年(昭和40年)9月 - 管理棟が完成。
  • 1973年(昭和48年)11月21日 - 校訓を制定。
  • 1976年(昭和51年)3月 - 特別教室棟が完成。
  • 1981年(昭和56年)2月 - 第1体育館が完成。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 入学試験において大分地区4校(大分上野丘大分舞鶴・大分鶴崎・大分東)での合同選抜を開始。
  • 1990年(平成2年)3月 - 合同選抜制度の改正により、第七通学区となる(大分鶴崎・大分東の2校合同選抜)。
  • 1995年(平成7年)3月 - 合同選抜制度の廃止により、単独選抜を開始。大分県第三通学区となる。
  • 2000年(平成12年)9月 - 創立90周年記念式典を挙行。
  • 2002年(平成14年)2月 - 普通教室棟が完成。
  • 2004年(平成16年)2月 - 第2体育館が完成。
  • 2005年(平成17年)7月 - 普通教室にエアコンを設置。

学校行事

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3学期制

1学期
  • 4月 - 始業式、入学式、歓迎遠足、実力考査
  • 5月 - 前期生徒総会、中間考査
  • 6月 - 大分県高等学校総合体育大会(高校県体)、実力考査、期末考査
  • 7月 - クラスマッチ(球技大会)、終業式
  • 8月 - 夏休み
2学期
  • 8月末 - 始業式、実力考査
  • 9月 - 翔鶴祭
  • 10月 - 中間考査、後期生徒総会
  • 11月 - 2年修学旅行
  • 12月 - 期末考査、クラスマッチ(球技大会)、終業式、冬休み
3学期
  • 1月 - 始業式、迎春祭
  • 2月 - 学年末考査
  • 3月 - 卒業式、高校入試、クラスマッチ(球技大会)、終業式、春休み

部活動

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運動部
文化部

著名な出身者

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交通アクセス

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最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停
最寄りの道路

周辺

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脚注

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  1. ^ 校歌(PDF) - 大分県立鶴崎高等学校ウェブサイト
  2. ^ a b 学校のあゆみ - 大分県立鶴崎工業高等学校ウェブサイト
  3. ^ 地主恵亮 (2021年1月21日). “大分には、トトロはいるし、炭酸水は湧いているし、コーヒーは美味しいし”. デイリーポータルZ. 2021年10月24日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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