大井次三郎

日本の植物学者

大井 次三郎(おおい じさぶろう、1905年9月18日 - 1977年2月22日[1])は、日本植物学者。牧野富太郎と並んで、日本の植物分類学の基礎を築いた人物である。

カヤツリグサ科の植物を中心に分類を行い、多くの植物を命名した。またその植物分類に対する功績をたたえ、ツクシオオガヤツリ (Cyperus ohwii) など、大井に献名された植物もある。

命名者として学名に記載される際には Ohwi の綴りが用いられるが、大井自身は当初 Ohi と綴っていた。しかし「Ohi では呼び声の『オーイ』と同じになってしまうから」という小泉源一の提案があり、Ohwi と記載されることになった[1]

概要

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1905年東京市深川区の木材商の家に生まれた[1][2]

1930年京都帝国大学農学部を卒業[1]。その年に同大学の副手に就任。1937年理学博士号を取得。1943年に入隊し、第二次世界大戦中は陸軍に所属した[1]

終戦後に、東京科学博物館(現:国立科学博物館)の事務嘱託を経て研究員の職につき、1970年まで同博物館に勤務。1972年には同博物館の名誉館員となった[1]

同博物館の図書課長を務めていた1953年に、それまでに知られていた日本の植物を網羅した『日本植物誌』(のちに『新日本植物誌』として改訂)を刊行。同書は『Flora of Japan』として英訳もなされた。またその功績を讃えられ、1971年朝日賞を受賞した[1][3]

1977年心臓麻痺で死去[1]

献名された植物の一部

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論文

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 北村四郎 (1977)「大井次三郎博士の伝」植物分類・地理 28(4〜6) pp.92-97
  2. ^ 大井次三郎 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」コトバンク
  3. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2023年1月3日閲覧。

関連項目

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