大井政継
戦国時代の武将
大井 政継(おおい まさつぐ)は、戦国時代の武将。信濃国耳取城主。大井政勝の子。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 1511年? |
死没 | 不詳 |
別名 | 民部少輔 |
戒名 | 玄江 |
墓所 | 玄江院 |
主君 | 大井貞隆→武田信玄、勝頼→依田信蕃 |
氏族 | 小笠原氏流大井氏 |
父母 | 父:大井政勝 |
兄弟 | 政行、政継 |
妻 | 岩尾城主大井行真の娘[1] |
子 | 政成 |
概要
編集平賀玄信(大井成頼)の孫(『大井小笠原流系図』)で[2]、耳取城を攻めとって耳取城(鷹取城)主となる。天文5年(1536年)武田信虎の佐久侵攻に抗して海ノ口城の後詰めをした。天文12年(1543年)頃、武田信玄に降る。 弘治年間(1555-1558年)に城に近い館を寄進して鷹取山玄江院を建立した[3]。 また駒形城(駒形神社)を再興したと伝わる[4]。天正10年(1582年)の天正壬午の乱で徳川方に降り、子の政成は天正18年(1590年)の家康の関東移封に従って上州藤岡に移った。
脚注
編集参考文献
編集- 小諸市誌編纂委員会編、『小諸市誌』歴史編 (二)小諸市教育委員会、1984年
外部リンク
編集- 耳取城~城と古戦場~
- 駒形神社の塁 - ウェイバックマシン(2016年1月8日アーカイブ分)