大久保忠胤

江戸時代中期の大名

大久保 忠胤(おおくぼ ただたね、宝永7年7月3日1710年7月28日) - 安永8年8月2日1779年9月11日))は、江戸時代中期の大名下野烏山藩の第2代藩主。烏山藩大久保家3代。

略歴

編集

初代藩主大久保常春の長男。母は小林氏。正室は京極高或の娘(安藤信友の養女)。子に大久保忠卿(次男)、大久保忠喜(三男)、大久保忠定(四男)、娘(阿部正興継室)、娘(大久保忠寛室)。官位は従五位下、山城守。

享保13年(1728年)、父・常春が死去したため家督を相続し、弟の伝三郎忠篤に新墾田2000石を分知した。宝暦9年(1759年)に次男の忠卿に家督を譲って隠居した。安永8年(1779年)に70歳で死去した。墓所は東京都世田谷区太子堂最勝寺教学院

系譜

編集

父母

正室

側室

  • 奥崎氏

子女