多田護
多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - 2017年6月13日[1])は、日本のアナウンサー。北海道出身[2][3](幕別町明野生まれ[4])。身長172cm、体重76kg[2]。血液型O型[2]。
ただ まもる 多田 護 | |
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プロフィール | |
出身地 | 日本 北海道幕別町明野 |
生年月日 | 1941年2月23日 |
没年月日 | 2017年6月13日(76歳没) |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 明治大学政経学部卒 |
所属事務所 | キャスト・プラス |
職歴 |
TBSアナウンサー TBSアナウンスセンター長 ほか |
活動期間 | 1965年 - 1997年、2001年 - 2017年 |
ジャンル | スポーツ |
出演番組・活動 | |
出演中 | ゴルフ中継(マスターズ・トーナメント) |
出演経歴 |
TBSエキサイトナイター プロ野球中継(テレビ) テニス中継 フィギュアスケート中継 など |
来歴・人物
編集北海道帯広三条高等学校→明治大学政経学部卒業[2][3]後、1965年4月にTBS[注釈 1]へアナウンサー第10期生として入社[5][6]。1966年1月にラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部、1967年11月にアナウンサー研修室付兼報道局ラジオニュース部へそれぞれ配属[6]。
1968年6月に報道局運動部兼アナウンサー研修室付の配属となって以降は、主にスポーツアナウンサーとして中継・情報番組で活動した。主な中継担当競技は、野球[5][6][4]・テニス[5][6]・ゴルフ[5][6]・フィギュアスケート[5][6]・陸上競技[6]。1983年の『'83 グンゼ・ワールドテニス』では、第9回アノンシスト賞テレビ番組部門最優秀賞を受賞した[6]。
その間、1970年7月よりラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部[6]、1979年12月よりアナウンス室兼テレビ本部第二制作局スポーツ部[6]、1991年5月よりアナウンサーセンター兼スポーツ局にそれぞれ在籍した[6]。
1994年6月15日から1997年6月3日まではTBSアナウンスセンター長を務め[7]、その後は社長室秘書部へ在籍[6]し、2001年2月に定年[5][6]退職[3]。退職後は、フリーアナウンサーとなる[4]。2005年頃よりクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA。2010年より、キャスト・プラス)所属[8]。また、TBSアナウンススクールの特別講師も務めた。
帯広三条高校常磐同窓会の関東地方の支部である「東京三条常磐会」の会長も務めたが[9]、2017年6月13日午後2時に76歳で没した[1]。
担当番組
編集※特記ない限り、TBSアナウンサー当時のもの。
スポーツ中継(ラジオorテレビ)
編集- プロ野球中継
- TBSエキサイトナイター(ラジオ)
- テレビ中継
- テニス中継
- ゴルフ中継
- 女子ゴルフ世界選手権
- マツダジャパンクラシック(関東地方のコース開催時)
- 伊藤園レディス
- マスターズ・トーナメント[4](テレビ。1975年から担当。フリー転身後も、BS-TBS・TBSチャンネルでの放送を担当)
- 全英女子オープンゴルフ(岡本綾子の初優勝を実況[4])
- 国際招待ゴルフ・中日クラウンズ、ダンロップフェニックストーナメント等男子ゴルフトーナメントのホールリポーター
- 駅伝中継[3]
- フィギュアスケート中継
- カーレース中継[3]
- ソウルオリンピック中継[4](テレビ。1988年。閉会式担当)[6]
ラジオ
編集- 歌謡曲ゴールデンスタジアム(1978年)[5][6]
- 熱球 男の舞台[6](『熱球・男の舞台』[10]。1982年10月9日 - 1983年4月2日、土曜19:00 - 19:55に放送[10]) ※野村克也と共演[10]。
- ハローナイト(1987年。スポーツキャスター)[5][6]
- ロンペーの夜に乾杯!(1989年。スポーツキャスター)[11]
テレビ
編集- がんばれライオンズ(テレビ。1979年開始当時の担当の一人)[12]
- JNNスポーツデスク(テレビ。1980年)[5][6]
- JNNニュースコープ(テレビ。1986年。スポーツコーナーキャスター)[5][6]
脚注
編集注釈
編集- ^ 2001年9月までラジオテレビ兼営局だったが、同年10月にラジオを子会社のTBSラジオ&コミュニケーションズへ、2009年4月にテレビを子会社のTBSテレビへ移行させるとともに持株会社化し「東京放送ホールディングス(TBSHD)」へ社名変更。それに伴い「TBS」の略称も子会社TBSテレビへ移行した。
出典
編集- ^ a b 訃報 東京帯広三条会 会長 多田 護 氏
- ^ a b c d TBSによる公式プロフィール(1997年2月16日時点のアーカイブ)
- ^ a b c d e キャスト・プラスによる公式プロフィール(2016年1月25日時点のアーカイブ)
- ^ a b c d e f g h i j 「わたしの十勝」 多田護さん*フリーアナウンサー*神々しい日高の山並み 人生後押しした「恩人」(2013年8月8日時点のアーカイブ) - 北海道新聞帯広支社サイト内連載インタビュー、2008年12月13日付。
- ^ a b c d e f g h i j 『TBS50年史』資料編P237-238に掲載された、アナウンサー第10期生のリストを参照。このうち、多田の情報はP238に掲載。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『TBSアナウンサーの動き』P18-20に掲載された、アナウンサー第10期生のリストを参照。このうち、多田の情報はP19に掲載。
- ^ 『TBS50年史』資料編に掲載された「主要役職者任期一覧」(P43-47)より、歴代アナウンスセンター長のリスト(P46掲載)を参照。
- ^ CMA(2015年12月1日時点のアーカイブ)
- ^ 東京三条常磐会サイト内プロフィール(2016年3月4日時点のアーカイブ) - ※役員リストあり。
- ^ a b c 『TBS50年史』DVD-ROM『ハイブリッド検索編』のラジオ番組データベースより、「出演者別リスト」→「た」→「多田護」節→『熱球・男の舞台』番組情報を参照。
- ^ 『TBSアナウンサーの動き』より(番組名は『夜に乾杯』と表記)。
- ^ 『TBS50年史』資料編に掲載の、歴代テレビ番組一覧より。
参考資料
編集- TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
外部リンク
編集- TBSによる公式プロフィール - ウェイバックマシン(1997年2月16日アーカイブ分) - TBSアナウンスセンター長在任当時。
- CMA - ウェイバックマシン(2005年12月1日アーカイブ分) - 2005年12月頃に、多田の名が最初に掲載された版。
- CMAによる公式プロフィール - ウェイバックマシン(2007年6月17日アーカイブ分)
- CMAによる公式プロフィール - ウェイバックマシン(2009年7月13日アーカイブ分)
- キャスト・プラスによる公式プロフィール - ウェイバックマシン(2016年1月25日アーカイブ分)
- TBSアナウンススクールの講師一覧 - ウェイバックマシン(2009年5月25日アーカイブ分) - 特別講師を務めた時のプロフィールが掲載。
- 「わたしの十勝」 多田護さん*フリーアナウンサー*神々しい日高の山並み 人生後押しした「恩人」(2013年8月8日時点のアーカイブ) - 北海道新聞帯広支社サイト内連載インタビュー、2008年12月13日付。
- 常磐に誓う - 帯広三条高校90年の足跡 その他・上 - 多田についての記述が見られる。
- 多田護 - Web版TVスター名鑑(2013年8月8日時点のアーカイブ)