多治比邑刀自
多治比 邑刀自(たじひ の おおとじ、生没年不詳)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官。姓は真人。位階は従四位下。名は大刀自とも表記される。
生涯
編集その活躍は桓武朝に限られ、延暦8年(789年)1月、藤原数子・紀若子とともに無位から従五位下に叙位され[1]、更に延暦10年(791年)12月に、同じく紀若子とともに従四位下に昇叙された[2]。平安遷都後の延暦14年(795年)12月、度者(得度枠)7人を賜り[3]、2年後の延暦16年(797年)3月、長岡京の土地5町を与えられている。この時の位階も従四位下である[4]。以上の経歴から、天皇の信任も厚く、高級職事に就任したものと推定されるが、以降の消息は知られていない。
官歴
編集『六国史』による