多治比清貞
多治比 清貞(たじひ の きよさだ)は、平安時代初期の貴族・漢詩人。姓は多治比真人のち丹墀真人。官位は従四位下・伊勢守。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 承和6年1月23日(839年2月10日) |
官位 | 従四位下・伊勢守 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇 |
氏族 | 多治比真人→丹墀真人 |
経歴
編集播磨権少掾などを経て、弘仁11年(820年)従五位下に叙爵。
淳和朝末の天長10年(833年)正月に従五位上に昇叙されると、同年3月の仁明天皇即位後まもなく右少弁に、5月には左少弁に任ぜられる。しかし、翌承和元年(834年)伊勢守に任ぜられ地方官に転じる。伊勢守を務める間に、承和3年(836年)正五位下、承和5年(838年)従四位下と順調に昇進した。承和6年(839年)正月23日卒去。最終官位は伊勢守従四位下。
官歴
編集注記のないものは『六国史』による。