多度大社

三重県桑名市にある神社
多度神宮寺から転送)

多度大社(たどたいしゃ)は、三重県桑名市多度町多度にある神社式内社名神大社)で、旧社格国幣大社。現在は神社本庁別表神社

多度大社

本宮(左)・別宮(右)
地図
所在地 三重県桑名市多度町多度1681
位置 北緯35度08分07.8秒 東経136度37分21.5秒 / 北緯35.135500度 東経136.622639度 / 35.135500; 136.622639 (多度大社)座標: 北緯35度08分07.8秒 東経136度37分21.5秒 / 北緯35.135500度 東経136.622639度 / 35.135500; 136.622639 (多度大社)
主祭神 天津彦根命
社格 式内社名神大
伊勢国二宮
国幣大社
別表神社
創建 第21代雄略天皇年間
本殿の様式 神明造
例祭 5月4日5日
主な神事 上げ馬神事・流鏑馬祭
地図
多度大社の位置(三重県内)
多度大社
多度大社
テンプレートを表示

三重県では伊勢神宮二見興玉神社椿大神社に次いで4番目に参拝者数の多い神社である[1]

祭神

編集
 
多度山
 
多度峡

現在の祭神は次の通り。

本宮 多度神社
  • 祭神:天津彦根命(あまつひこねのみこと)
  • 相殿:面足命(おもだるのみこと)、惶根命(かしこねのみこと)
別宮 一目連神社

本宮祭神の天津彦根命は、天照大神の第3子とされる神で、天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神である。天津彦根命が天照大神の御子神であることや参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われた。また俗に、北伊勢大神宮・多度大神宮などとも云われた。本宮と別宮は合わせて「多度両宮」と称される。

歴史

編集

社伝では、雄略天皇の御代の創建と伝える。古代には、社殿背後の多度山神体山としていた。763年天平宝字7年)、僧・万願によって神宮寺が創建された。863年貞観3年)、神階正二位に累進した。延喜式神名帳では名神大社に列し、伊勢国二宮として崇敬された。神宮寺は伊勢国の准国分寺とされた。平安後期には伊勢平氏により崇敬され、軍神としても信仰された。

中世には国司北畠氏が保護していたが、1571年元亀2年)、織田信長長島一向一揆平定の際に、命を受けた大垣城氏家卜全により、多度大社の本宮並びに摂末社、神宝、古記録、多度大社の神宮寺であった宝雲寺(真言宗)の七十余りに及ぶである堂塔伽藍が全て焼きつくされ焼失した。その後1605年慶長10年)に桑名藩主・本多忠勝により再建された。

1873年明治6年)、県社に列格し、1915年大正4年)に国幣大社に昇格した。

境内

編集

摂末社

編集
摂社
  • 美御前社 - 祭神:市杵島姫命
  • 新宮社 - 祭神:天津彦根命幸魂、天目一箇命幸魂。
  • 一挙社 - 祭神:一言主命
末社
関連社
  • 招魂社 - 祭神:護国の英霊。

祭事

編集

年中行事

編集
参道に設けられた馬場(コース)に3か所の的を設置し、騎手が順次射落として行く。

多度祭

編集
 
上げ馬神事
 
上げ馬神事が行われる坂

御例祭は一般的には多度祭と称されており上げ馬神事や流鏑馬神事が行われる[2]

このうち上げ馬神事 (あげうましんじ)は5月4日5日に行われる[3]東員町猪名部神社大社祭の上げ馬神事(こちらは4月第1週の週末に挙行。歴史は多度大社よりも160年ほど遡る。)との関連が指摘されている[3]

2020年は新型コロナウイルスによる感染拡大を受けて、中止することを同年4月1日に発表した。上げ馬神事は戦時中でも行われており、中止になるのは長島一向一揆の平定に動いた織田信長による焼き討ちで神社が焼失して以来、約400年ぶりだと言われている[4][5]

上げ馬神事については馬の骨折等が問題となっていた。

  • 2009年に行われた上げ馬神事において、神事を運営する地元の団体が、本番前に馬を興奮させる目的で、馬の腹部などを蹴ったり殴打したりしていたとして、津市内の動物愛護団体が告発し、三重県警動物愛護法違反の容疑で、団体に所属する桑名市内の住民ら5名を書類送検した。上げ馬神事は、動物虐待に当たるとの指摘が以前から多数出ており、三重県教育委員会から馬の扱いの改善と安全性の確保に努めるよう、多度大社に勧告を行った[6]
  • 2011年津地検四日市支部は動物愛護管理法違反容疑で書類送検された参加者を嫌疑不十分で不起訴処分とした[7]

2023年6月19日、多度大社で「事故防止対策協議会」が開かれ、三重県や桑名市、警察の担当者、地元代表などが出席し、三重県が壁を含む坂全体の構造を見直すことを提案し、多度大社や地元の代表がこの提案を受け入れる方針を決めた[8]

2024年4月20日、本番に先立ち、馬を坂にならすための試走が行われた。専門家などからの助言を受けて、土壁を撤去したほか、坂を緩斜面にするなどの改善策が施されている[9]

文化財

編集

重要文化財(国指定)

編集
  • 金銅五鈷鈴 多度神宮寺阯出土(工芸品) - 平安時代の作。1939年(昭和14年)5月27日指定[10]
  • 神宮寺伽藍縁起並資財帳(竹帙添)(古文書) - 平安時代の作。1904年(明治37年)8月29日指定[11]
  • 銅鏡 30面(考古資料) - 平安時代の作。1904年(明治37年)8月29日指定[12]

三重県指定文化財

編集
  • 有形文化財
    • 短刀 銘(表)正重(裏)多度山権現(工芸品) - 室町時代の作。1978年(昭和53年)2月7日指定。
    • 太刀 銘 勢州桑名住藤原勝吉(工芸品) - 江戸時代前期、元和8年(1622年)の作。1979年(昭和54年)3月23日指定。
  • 無形民俗文化財
    • 多度大社 上げ馬神事 - 1978年(昭和53年)2月7日指定。

アクセス

編集

養老鉄道養老線多度駅下車徒歩15分又は三重交通バス5分。また近くには(約1km)多度峡がある。

脚注

編集
  1. ^ 観光地点等分類ごとの入込客数”. 三重県雇用経済部 観光・国際局 観光政策課. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
  2. ^ 多度祭”. 多度大社. 2023年6月19日閲覧。
  3. ^ a b 上げ馬神事 観光三重。
  4. ^ 三重の「上げ馬神事」中止に 「1600年代以降で初」”. 共同通信(2020年4月1日作成). 2020年4月1日閲覧。
  5. ^ 中止は“織田信長の焼き討ち以来”400年ぶり…三重・多度大社『上げ馬神事』 新型コロナの影響で中止”. 東海テレビ放送(2020年4月1日作成). 2020年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月1日閲覧。
  6. ^ 「上げ馬神事」で馬の腹殴った疑い 住民ら5人書類送検 朝日新聞 2011年7月3日
  7. ^ “桑名・多度大社の上げ馬神事、勇壮に”. 日本経済新聞. (2013年5月5日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFD04006_U3A500C1CN8000/ 2016年7月9日閲覧。 
  8. ^ 上げ馬神事 事故受け坂の構造見直しへ 三重桑名・多度大社”. NHK. 2023年6月19日閲覧。
  9. ^ 松本宣良 (2024年4月21日). “「上げ馬神事」どう変わる? 動物虐待で批判集まり、土壁なくす”. 毎日新聞. 2024年4月21日閲覧。
  10. ^ 金銅五鈷鈴〈/(多度神宮寺阯出土)〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  11. ^ 紙本墨書神宮寺伽藍縁起并資財帳〈(竹帙添)〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  12. ^ 銅鏡 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連文献

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集