多功建昌

日本の戦国時代の武将

多功 建昌(たこう たてまさ)は、室町時代後期~戦国時代の武将。下野国大名宇都宮氏の家臣。多功城城主。多功氏は宇都宮氏の庶流である。石見守。子に多功長朝

 
多功建昌
時代 室町時代後期 - 戦国時代後期
生誕 寛正4年(1463年
死没 元亀3年1月20日1572年2月3日[1]
墓所 見性寺
官位 石見守
氏族 多功氏
父母 父:多功興房
多功長朝、女子(中村為長[2]
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天文20年(1551年)1月20日に米寿の祝賀を催したという[1]。同年、東舘に新しい城を築き、西舘から移動した[1]。翌天文21年(1552年)、星宮山多功院建昌寺(現・見性寺)を建立[1]

また、寿命が現代でも稀な110歳であり、相当長生きな人物であったという。

脚注

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  1. ^ a b c d 『栃木県史 史料編 中世 4』(栃木県、1979年)p.496
  2. ^ 『野州中村神社縁起』(中村神社文書編纂委員會、中村神社顕彰會、ISBN-4815031096)p.28