多以良村
日本の長崎県西彼杵郡にあった村
多以良村(たいらむら)は、長崎県の西彼杵半島にあった村。西彼杵郡に属した。1955年(昭和30年)に南側[1]に位置する瀬戸町、雪浦村および島嶼部の松島村と合併し、大瀬戸町となった。
たいらむら 多以良村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 瀬戸町、多以良村、松島村、雪浦村 → 大瀬戸町 |
現在の自治体 | 西海市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 西彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,824人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 西彼杵郡瀬戸町、大串村、七釜村 |
多以良村役場 | |
所在地 | 長崎県西彼杵郡多以良村内郷 |
座標 | 北緯32度58分09秒 東経129度38分45秒 / 北緯32.96922度 東経129.64594度座標: 北緯32度58分09秒 東経129度38分45秒 / 北緯32.96922度 東経129.64594度 |
ウィキプロジェクト |
現在の西海市大瀬戸町の北部、多以良地区にあたる。
地理
編集西彼杵半島の西部に位置し、西の海岸線を角力灘(五島灘)に接する。
- 山:ゲキト岳、ヌク山、城ノ尾岳、高帆山、火受岳(ヒウ山)
- 島嶼:和布島、姥島、二ツ小島、出口小島
- 河川:多以良川
- 溜池:池ノ尾堤、城ノ尾堤、長谷堤
歴史
編集沿革
編集古くは当地を「平村」と称していたが、江戸時代末期の文政年間までに村名を「多以良村」に改めたとされる[2]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西彼杵郡多以良村が単独村制にて発足。
- 1955年(昭和30年)2月11日 - 西彼杵郡瀬戸町、松島村、雪浦村と合併して大瀬戸町が発足し、多以良村は自治体として消滅。
主な出来事
編集地名
編集郷を行政区域とする。多以良村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。
- 内郷(うち)
- 外郷(そと)
脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 西彼杵郡現勢一班「多以良村現勢内容」(1926年)国立国会図書館デジタルコレクション