夕張駅(ゆうばりえき)は、かつて北海道夕張市末広2丁目にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線(夕張支線)の廃駅)である。電報略号ユウ事務管理コードは▲132107[2][3]駅番号Y25

夕張駅
駅舎(2017年7月)
ゆうばり
Yūbari
Y24 鹿ノ谷 (1.3 km)
地図
所在地 北海道夕張市末広二丁目
北緯43度3分3.38秒 東経141度58分2.69秒 / 北緯43.0509389度 東経141.9674139度 / 43.0509389; 141.9674139座標: 北緯43度3分3.38秒 東経141度58分2.69秒 / 北緯43.0509389度 東経141.9674139度 / 43.0509389; 141.9674139
駅番号 Y25
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石勝線(夕張支線)
キロ程 16.1 km(新夕張起点)
電報略号 ユウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
62人/日(降車客含まず)
-1998年-
開業年月日 1892年明治25年)11月1日[1]
廃止年月日 2019年平成31年)4月1日
備考 路線廃止に伴う廃駅
1.1985年昭和60年)10月13日移転[1]
2.1990年平成2年)12月26日再移転[1]
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1976年の国鉄夕張線(当時)夕張駅(初代)と周囲約1km範囲。左下が鹿ノ谷方面。客扱いとしては駅舎前の単式ホーム1面1線である。駅裏北側に北炭夕張炭鉱の選炭場と積込み施設が接していて、沢山の留置線を有している。駅裏南側には転車台が残されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史

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初代夕張駅跡(2003年8月)

主要産業の変化に伴い、駅は路線を短縮する形で2度移転された[1]。はじめは石炭の運び出しの便を図るため、市の奥地である夕張市福住の現在の石炭の歴史村付近に駅があった。当時は夜間滞泊も行われていたが、相次ぐ炭鉱閉山の影響により過疎化が急速に進行。夕張市は観光を主要産業に位置付け開発に乗り出し、1985年昭和60年)に市の中心部である夕張鉄道夕張本町駅構内跡地(夕張市本町4丁目、夕張市役所及び夕張市民会館の裏)に移転した。これが2代目夕張駅である。

2代目夕張駅の駅舎は3両の貨車を改装し連結したものであった。貨車はワフ29500形のワフ29756、ワフ29900とワム80000形のワム86579の3両で、車輪を付けたまま駅舎に改造された珍しい例であった[4]

その後、リゾート開発に伴い、鹿ノ谷 - 夕張間、夕張市末広2丁目のホテルマウントレースイ前に新駅を設置する構想が浮上した。しかし、勾配と駅間距離の短さから実現せず、1990年平成2年)に夕張駅自体が新駅の予定地点へと移転することになった。これが3代目夕張駅である。

3代目夕張駅舎は当初、ホテルマウントレースイを経営する松下興産が管理していた[5]。しかし2002年(平成14年)に松下興産はホテル経営から撤退し、夕張市所有の施設「ゆうばり駅待合所」となった。しかし市は2007年(平成19年)3月に財政破綻し、4月には施設を廃止[6]。地元観光協会に管理を委託した[5]。同年、岐阜県大垣市の情報技術関連会社「サイエンスネット」は駅トイレ・待合室の管理費を寄付した[7]。しかし観光協会は財源不足となった。そこで小樽市のログハウスメーカー「トベックス」が駅舎の維持管理と2009年(平成21年)5月からの全面改修を無償で受託[5]。同年7月にはイタリアンカフェ「ルーチェ・ソラーレ」が、10月には夕張市産業課が運営する「夕張市観光案内所」がオープンした[8]。しかしイタリアンカフェは建物の管理がずさんだったなどとして、2013年(平成25年)12月に閉店した[8]。その後はNPO法人ゆうばり観光協会が運営する「夕張観光案内センター」などが入居する建物となった[9]

年表

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廃止時の駅構造

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石勝線夕張支線の終着駅であり、単式ホーム1面1線の地上駅だった。1998年(平成10年)頃に一度無人化されたが2007年(平成19年)に簡易委託化され、総販システムの前出し券に日付を押印する方法で発売していた。ただし、駅構内ではなく駅舎の背後にあるホテル「マウントレースイ」のフロントにおける取り扱いとなっていた。新夕張駅管理。

駅周辺

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駅跡

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初代駅舎・石炭の歴史村管理ステーション(2003年)
 
駅舎を活用した喫茶店「和」(2024年)
初代
初代駅舎は石炭の歴史村を運営する石炭の歴史村観光と夕張観光開発の本社が入居する「石炭の歴史村管理ステーション」に転用。道道38号夕張岩見沢線の切り替え工事にあたり、2006年(平成18年)10月4日に旧「ファミリースクールふれあい」(旧市立旭小学校校舎、市財政再建のため同年9月18日限りで閉鎖)へと移転。同年10月10日より解体された。
2代目
2代目駅舎に使われていた車両は「石炭の歴史村」に移設[4]、「キハ69900」とペイントされSL館と遊園地「アドベンチャーファミリー」の間に長らく設置されていた。
3代目
廃止から約1年後の2020年令和2年)4月以降、駅舎は夕張観光案内センターと喫茶店として活用されている[15]

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
石勝線(夕張支線)
鹿ノ谷駅 (Y24) - 夕張駅 (Y25)

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 24号 石勝線・千歳線・札沼線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年12月27日、14-15頁。 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、228頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
  4. ^ a b 斉藤幹雄「レジャー施設に健在の二代目夕張駅舎」『鉄道ジャーナル』第467号、鉄道ジャーナル社、2005年9月、105頁。 
  5. ^ a b c d e f g 【北海道】夕張駅舎に再興の芽 イタリアンカフェ開店”. 朝日新聞. 2009年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月22日閲覧。
  6. ^ 夕張市の行政サービスとの比較結果【歳入確保・歳出削減関係】” (PDF). 夕張市の財政再建の調査結果について. 神奈川県箱根町. p. 5. 2021年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月14日閲覧。
  7. ^ 第05回 - 社長インタビュー”. 株式会社サイエンスネット. 2021年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月14日閲覧。
  8. ^ a b c 【ルーチェ・ソラーレ 夕張】からのお知らせ”. 株式会社支える珈琲 ルーチェ・ソラーレ 夕張. 2014年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月22日閲覧。
  9. ^ 観光案内”. NPO法人ゆうばり観光協会. 2013年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月14日閲覧。
  10. ^ 『官報』1900年08月13日 逓信省通達 「停車場移転」(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、110頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  12. ^ a b 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、840頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  13. ^ 2009.9.9 ゆうばり屋台村 オープン!!”. TOBEX BLOG. トベックス (2009年9月9日). 2018年8月30日閲覧。
  14. ^ “石勝線夕張支線の運行再開は3月31日以降に…線路の盛土崩壊抑止に目途”. レスポンス. (2018年3月20日). https://response.jp/article/2018/03/20/307460.html 2018年8月30日閲覧。 
  15. ^ 【廃止から1年 北海道・夕張支線の「いま」を訪ねて(4)】 鹿ノ谷駅と夕張駅の古今物語”. 鉄道チャンネル. エキスプレス (2020年6月7日). 2021年5月5日閲覧。

報道発表資料

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  1. ^ 石勝支線 新夕張〜夕張間の運転再開について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2018年3月20日https://www.jrhokkaido.co.jp/press/2018/180320-2.pdf2018年8月30日閲覧 
  2. ^ 夕張駅、もう少しいられます 11日から出発時間遅く”. 北海道新聞. 2018年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月30日閲覧。
  3. ^ 石勝線(新夕張・夕張間)の鉄道事業廃止について』(PDF)(プレスリリース)夕張市、北海道旅客鉄道、2018年3月23日https://www.jrhokkaido.co.jp/press/2018/180323-1.pdf2018年3月23日閲覧 

新聞記事

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  1. ^ “「通報」●函館本線蘭越駅ほか29駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 4. (1984年3月31日) 
  2. ^ 「国鉄、あすから道内41駅で業務合理化」『日本経済新聞日本経済新聞社、1984年3月30日、地方経済面/北海道、1面。
  3. ^ トピックスブログ - ゆうばり屋台村”. JA夕張市 (2009年9月9日). 2018年8月30日閲覧。
  4. ^ “「民活」夕張再生担う 新計画始動から3カ月”. 日本経済新聞. (2010年6月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFC2500C_V20C10A6L41000/ 2018年8月30日閲覧。 
  5. ^ “JR北 夕張支線の廃止、正式に合意 19年3月いっぱい”. 毎日新聞. (2018年3月23日). https://mainichi.jp/articles/20180324/k00/00m/040/162000c 2018年8月30日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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