増田町 (横手市)
増田町(ますだまち)は、秋田県横手市にある地区(広域地名)。人口は6,309人(2020年(令和2年)10月1日現在、国勢調査による[1])。
2005年(平成17年)10月1日に市町村合併によって横手市となった旧平鹿郡増田町の区域をそのまま継承している。増田町荻袋、増田町亀田、増田町熊渕、増田町狙半内、増田町戸波、増田町増田、増田町三又、増田町八木、増田町湯野沢、増田町吉野の10大字からなる。
本項では、旧増田町及び地域総称について述べる。
地理
編集横手市の南東部に位置する。町の中央部に国道342号が横断し、雄平東部広域農道(雄平フルーツライン)が縦貫する。街の中心地は横手市役所増田庁舎(増田地域局)周辺にある。「増田の町並み(内蔵)」と呼ばれる伝統的建造物群保存地区があり、2013年には国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。北都銀行の前身である羽後銀行の創業の地である。増田地域は、増田地区(八木・戸波を含む)・亀田地区・西成瀬地区・狙半内地区(増田東地区とも)と区分される。
東で雄勝郡東成瀬村、西で十文字地域、北で平鹿・横手地域、南で湯沢市と隣接する。
山岳
編集- 真人山
- 男亀森・女亀森
- 高根山
河川
編集湖沼
編集- 真人公園沼
- 倉刈沼
歴史
編集ますだまち 増田町 | |||||
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廃止日 | 2005年10月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 旧横手市、増田町、平鹿町・雄物川町・大森町・十文字町・山内村・大雄村 → 横手市 | ||||
現在の自治体 | 横手市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 秋田県 | ||||
郡 | 平鹿郡 | ||||
市町村コード | 05441-1 | ||||
面積 | 74.21 km2. | ||||
総人口 |
8,579人 (推計人口、2005年10月1日) | ||||
隣接自治体 |
湯沢市 平鹿郡平鹿町、十文字町、山内村 雄勝郡稲川町、皆瀬村、東成瀬村 | ||||
の木 | リンゴ | ||||
の花 | 桜 | ||||
町の鳥 | 鷹 | ||||
増田町役場 | |||||
所在地 |
〒019-0701 秋田県平鹿郡増田町増田字土肥館173番地 | ||||
外部リンク | 増田町(2005年9月7日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project | ||||
特記事項 |
町のシンボルはそれぞれ 1990年9月22日制定 | ||||
ウィキプロジェクト |
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行。
- 1895年(明治28年) - 増田村が町制施行し増田町となる。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 増田町と西成瀬村が郡越境合併し、平鹿郡増田町となる。
- 1957年(昭和32年)4月1日 - 雄勝郡稲庭川連町(後の稲川町)大字戸波、大字三又の各一部を編入。
- 1965年(昭和40年)11月10日 - 町章制定。
- 1972年(昭和47年)8月2日 - 集中豪雨により皆瀬川が氾濫。床上浸水2戸、床下浸水162戸[2]。
- 1980年(昭和55年)5月15日 - 町民憲章制定。
- 1985年(昭和60年)6月28日 - 「非核平和の町」宣言。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 横手市・平鹿町・雄物川町・大森町・十文字町・山内村・大雄村と合併し、横手市を新設。同日に増田町を廃止。
交通
編集鉄道
編集町内に駅はない。最寄り駅は十文字地域にあるJR東日本奥羽本線の十文字駅。
道路
編集旧増田町と姉妹都市締結をしていた岩手県水沢市(現・奥州市)へ通ずることから、地元では国道397号を「水沢線」と呼ぶ。増田町から岩手県側へ距離的には最短ルートであるが、毎年11月から5月まで県境部分が冬季閉鎖になることと、急カーブ・急坂が連続する線形で通行には十分注意を要するが、春の新緑と夏の清涼や秋の紅葉など山嶺と渓谷美は素晴らしい。秋田自動車道と鬼首道路が開通したが、焼石岳登山ルートは「水沢線」沿線に登山口がある。
教育
編集高等学校
編集中学校
編集小学校
編集施設
編集各大字の記事の「施設」の節を参照。
観光
編集名所・旧跡・観光スポット
編集- 増田の町並み・内蔵
- 横手市増田まんが美術館
- 真人公園
- 釣りキチ三平の里
- 天下森スキー場
著名出身者
編集脚注
編集- ^ “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat)”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年4月13日閲覧。
- ^ 「北日本に局地豪雨」『朝日新聞』昭和47年(1972年)8月3日夕刊、9面