増田 正宗(ますだ せいそう、1885年(明治18年) - 1966年(昭和41年)は、明治から昭和にかけての日本画家、本名は久太郎。実業家の増田通二の父[1]

増田 正宗
生誕 増田 久太郎
1885年
長野県東筑摩郡松本(現・松本市
死没 1966年
国籍 日本の旗 日本
教育 東京美術学校日本画科
著名な実績 日本画家
影響を与えた
芸術家
下村観山結城素明寺崎広業

人物・来歴

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長野県東筑摩郡松本(現・松本市)生まれ[2]。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科卒業[2]下村観山結城素明寺崎広業に師事する[2]

1912年フランスに渡り修行。帰国後、第10回文展に「菟裘」が、第11回文展に「光明皇后深夜縫衣之図」がそれぞれ入選[2]1926年聖徳太子奉讃展に「雪降る朝」を出品。1927年第8回帝国美術展覧会に「鴉」が入選してから第11回の「熊野神幸船」まで連続で入選し[2]、牧山を改め正宗と号した[2]

第二次世界大戦末期、松本市神田に疎開。仏画もよくし、松本の全久院や野田市金乗院細密画がある[2]

脚注

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参考文献

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  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年7月。ISBN 978-4876631261 
  • 立石泰則『堤清二とセゾン・グループ』講談社講談社文庫〉、1995年2月。ISBN 978-4061858862