増山正弥
増山 正弥(ましやま まさみつ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。三河西尾藩2代藩主、常陸下館藩主。伊勢長島藩初代藩主。長島藩増山家2代。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 承応2年1月22日(1653年2月19日) |
死没 | 宝永元年5月20日(1704年6月21日) |
改名 | 仙福(幼名)→利順→宗堯→政祇→正祇→正弥 |
墓所 | 東京都台東区上野の勧善院 |
官位 | 従五位下・兵部少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱→綱吉 |
藩 | 三河西尾藩主→常陸下館藩主→伊勢長島藩主 |
氏族 | 那須氏→増山氏 |
父母 |
父:那須資弥、母:普明院(平岩氏娘) 養父:増山正利 |
兄弟 |
正弥、福原資寛 養兄弟:那須資徳(津軽信政三男)、不卯姫(津軽信政正室) |
妻 |
正室:長姫(依正院、永井尚征娘) 継室:栄寿院 側室:寿光院(杉浦氏)、栄心院(斎藤氏)、風間氏 |
子 | 正任、正元、小出英庸、政照他6男、安(松平乗興正室)、照(遠藤胤親継室のち平野長暁正室)、他4女 |
生涯
編集承応2年(1653年)1月22日、那須資弥の長男として誕生した。幼名は仙福、通称は兵部。
寛文2年(1662年)9月22日、伯父の西尾藩主・増山正利が死去したため、その養子として跡を継ぎ、西尾藩主となる。同年9月26日、将軍徳川家綱に御目見する。詰衆に加えられる。寛文3年(1663年)7月11日に常陸下館藩に移封される。寛文4年12月28日(1665年)、従五位下・兵部少輔に叙任する。元禄元年(1688年)5月4日、詰衆から外れて、帝鑑間詰となる。元禄15年(1702年)9月1日に1万石加増の2万石で伊勢長島に移封された。
宝永元年(1704年)5月20日、江戸で死去。享年52。
系譜
編集父母
正室、継室
- 長姫、依正院(正室) - 永井尚征の娘
- 栄寿院(継室)
側室
- 寿光院(杉浦氏)
- 栄心院(斎藤氏)
- 風間氏
子女