塩田 正洪(鹽田 正洪、しおた せいこう[1]1899年明治32年〉8月23日[2] - 没年不明)は、朝鮮総督府官僚

経歴

編集

1899年8月23日、東京府で楠眞道の四男として生まれ、塩田武夫の養子となる[2]。1924年、東京帝国大学法学部を卒業[2]

朝鮮総督府農務課長務官、林政課長総督官房秘書官兼文書課事、農林局農務課長、江原道内務部長、殖産局鉱産課長、企画部長を経て、1942年10月23日農林局長に就任[2]。1943年12月1日、農商局長。1944年8月17日、鉱工局長に就任し、終戦まで務めた。

その他

編集

趣味は音楽、運動[3]

親族

編集

出典:[3]

  • 妻:綾子:有田恕の次女(1906年8月生)
  • 嗣子:政臣:京城公立中学校卒業[2](1925年2月生)
  • 長女:陽子:京城第一公立高等女学校卒業[2](1927年6月生)
  • 次女:玲子(1934年6月生)
  • 三男:正庸(1937年3月生)

論文

編集
  • 『朝鮮農地令とその制定に至る諸問題』[1]

脚注

編集
  1. ^ a b https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN08781309#ref
  2. ^ a b c d e f 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮50頁、コマ数295.
  3. ^ a b 人事興信所 1943, シ30、コマ数818.

参考文献

編集