塩原牧
概要
編集『延喜式』から『吾妻鏡』にかけて塩原牧の名が見られるところから、少なくとも10世紀初頭から12世紀末まで存続していたことが確認できる。
「延書式」巻48の左右馬寮式御牧の条には、山鹿牧・塩原牧・岡屋牧・平井弖牧・笠原牧・高位牧・宮処牧・埴原牧・大野牧・大室牧・猪鹿牧・萩倉牧・新治牧・長倉牧・塩野牧・望月牧の順に記載されている。
東信地方の新治牧・長倉牧・塩野牧・望月牧が一塊に記載されていることから、記載順には地理的・成立年的などの意味が含まれると解釈し、山鹿牧(豊平村)と同じく八ヶ岳山麓にあった(茅野市米沢地区)とする説がある。[1]
それに対し、「神使御頭之日記」天文5年(1536)正月1日の条に「塩原」、「御頭役請執帳」元亀3年(1572)3月13日の条に、「浦野之塩原之郷」などとあることから、東山道浦野駅にあった(上田市浦野地区~青木村)とする説もある[2]。
上田市浦野には日本三代実録に記載がある馬背神社が存在し、青木村には子檀嶺神社・子檀嶺岳(こまゆみ=駒弓)があるなど、現在にも僅かに名残が残っている。
文献
編集- 上田市誌 歴史編(3)東山道と信濃国分寺