塚本善之
塚本 善之(つかもと よしゆき、1969年11月14日 - )は、京都府綴喜郡宇治田原町出身の元プロ野球選手(投手)、元競輪選手。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 京都府綴喜郡宇治田原町 |
生年月日 | 1969年11月14日(55歳) |
身長 体重 |
185 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト5位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集西城陽高時代、長身から繰り出す直球とフォークを武器に、1987年夏の京都府大会でベスト8に進出[1]。
1987年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから5位指名を受け入団した。ニックネームは角張った顔や長身から「フランケン」だった[2][3]。
現役中は肩を痛め、一軍登板のないまま、1990年オフに現役を引退した。二軍通算7試合登板、防御率10.00[4]。「三軍みたいなところに、ずっといた」と振り返っている[5]。
京都の実家へ帰り、鉄工所で働きながら新たな職を探していたが、「もう1度、自分の力で金を稼げる世界で勝負したかった。競輪の世界で強くなって、見返したかった」と競輪選手への転向を目指し[4]、日本競輪学校(当時)の入学試験を受験し第72期生として入学。卒業後は日本競輪選手会広島支部に所属。師匠は同じく広島の元投手であった石本龍臣(同60期)。
1993年8月14日、松阪競輪場でデビュー戦を迎え6着。初勝利は1994年1月29日の岐阜競輪場で挙げた。2002年10月23日、32歳の時に大津びわこ競輪場(F2)で初優勝を飾り、年俸は広島時代の3倍となる1000万円を超えた[4]。その頃から意識的に遠ざけていた野球を素直に見られるようになり、娘たちと一緒にマツダスタジアムに観戦に行っている[4]。
首を痛めた影響で、2017年1月12日、選手登録消除。通算成績は2039戦121勝、優勝1回。その後、競輪関係の仕事に就いている[6]。
三女・恋乃葉は2023年の「第46回ホリプロタレントスカウトキャラバン」にてグランプリに選出されている[7]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集- 一軍公式戦出場なし
背番号
編集- 65(1988年 - 1990年)
脚注
編集- ^ 塚本恋乃葉さんが「ホリプロスカウトキャラバン」グランプリ 父は元広島投手の“カープ女子”
- ^ 【1988年連載「赤ヘル ルーキーの横顔」】 <6> 塚本善之(投手)=ドラフト5位
- ^ グランプリの塚本恋乃葉さん、実は昨年は落選 父が元広島のプロ野球選手、ホリプロタレントスカウトキャラバン
- ^ a b c d 元広島カープ「あの選手は今」まとめ by NEWSポストセブン
- ^ 【競輪】元鯉戦士の兵動秀治、塚本善之が和歌山で奮走中
- ^ 塚本恋乃葉さん、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」第46代女王 父は元広島の投手で引退後は競輪選手
- ^ "ホリプロスカウトキャラバン グランプリは塚本恋乃葉さん 父は元広島投手で競輪選手「目指せ出川ガール」". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2023年11月4日. 2023年11月4日閲覧。
関連項目
編集- 京都府出身の人物一覧
- 広島東洋カープの選手一覧
- 兵動秀治 - 同じく競輪に転向した広島の選手。同じレースに出走し、兵動に先行を任せたこともある。
外部リンク
編集- 選手プロフィール - KEIRIN.JP