堀川基子
鎌倉時代から南北朝時代の女性。後宇多天皇の宮人・後宮。准三宮。
堀川 基子(ほりかわ もとこ(きし)、文永6年(1269年) - 正平10年/文和4年8月26日(1355年10月10日))は、鎌倉時代から南北朝時代の女性。後宇多天皇の宮人で、後二条天皇の生母。准三宮。院号は西華門院。法名は清浄法。父は内大臣堀川具守。太政大臣堀川基具の養女(実は孫に当たる)。
堀川 基子 | |
---|---|
続柄 | 後宇多天皇後宮、後二条天皇生母 |
称号 | 西華門院 |
身位 | 従三位・准三宮、女院 |
出生 |
文永6年(1269年) |
死去 |
文和4年8月26日(1355年10月10日)(享年87) |
配偶者 | 後宇多天皇 |
子女 | 後二条天皇 |
父親 | 堀川具守(養・堀川基具) |
母親 | 平親継女 |
生涯
編集弘安8年(1285年)に邦治親王(後の後二条天皇)を生む。しかし、太政大臣の孫という生まれながらも処遇には恵まれず、「増鏡」によれば、永仁6年(1298年)の邦治親王立太子後も、正安3年(1301年)の即位後も叙位がなく、基子が従三位に叙せられたのは徳治3年(1308年)8月に後二条天皇が亡くなって出家して後、同じ年(元号は延慶に改元後)の11月27日であった。更に同年1月2日に准三宮・院号宣下がなされて、西華門院と称した。
文和4年(1355年)、87歳で死去。