城戸 俊三(きど しゅんぞう、1889年明治22年〉7月4日 - 1986年昭和61年〉10月3日)は、大日本帝國陸軍軍人(騎兵)馬術選手

城戸 俊三
きど しゅんぞう
生誕 (1889-07-04) 1889年7月4日
日本の旗 日本 宮城県仙台市
死没 (1986-10-03) 1986年10月3日(97歳没)
所属組織 大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1934年
兵科 騎兵
最終階級 陸軍中佐(騎兵)
出身校 陸軍士官学校
除隊後 宮内省職員
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経歴・人物

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ロサンゼルスオリンピックの後、城戸は陸軍騎兵中佐を最後に予備役編入の形で軍を退き、宮内省に入省し、昭和天皇を始め帝室人員の馬術指導などを行う[3]

  • 第二次世界大戦後の僅かな期間には進駐軍の要望もあり、皇居の一角に拵えた乗馬倶楽部である「パレス乗馬倶楽部」の責任者として、軍時代の上官だった遊佐幸平少将と共に指導に当たった[10]
  • 宮内省を退官した後には日本馬術連盟常務理事を務めるなど戦後の日本馬術の復興と再建に務め[1]、また1972年ミュンヘンオリンピック馬術日本代表で、第15代日本オリンピック委員会会長を務めた竹田恆和を始めとする後進の指導にも携わった[9]
  • 城戸は戦後のオリンピック馬術競技の選手選考に携わり、更に1964年東京オリンピック馬術競技の準備のために、日本馬術連盟の代表として1960年ローマオリンピックに派遣され、ローマオリンピックの馬術競技などを視察し、その詳細な報告書を作成し、日本オリンピック委員会など関係機関に提出している[11]
  • また戦没軍馬の慰霊の為、伊藤國男の彫塑による馬の像を靖國神社に建立するべく城戸が「歿馬慰霊像奉献協賛会」を立ち上げ、多くの浄財を募った。その甲斐があり、1958年(昭和33年)4月7日に「戦没馬慰霊像」として建立し除幕式を迎えた。以後毎年4月7日を『愛馬の日』と定め、この像の前で戦没軍馬慰霊祭が執り行われる[12]
  • 1986年昭和61年〉10月3日に死去。97歳没。

脚注

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