坂本典男
坂本 典男(さかもと のりお、1959年5月20日 - )は、青森県三戸郡南部町[1]出身の元競輪選手。日本競輪学校(以下、競輪学校)第51期生。
来歴
編集坂本勉(競輪学校57期生)は実弟であり当人が師匠を務めた。また、坂本昌宏(競輪学校第91期生)、坂本周作(競輪学校105期生)は実子、坂本貴史(競輪学校94期生)、坂本周輝(競輪学校100期生)は甥(ともに勉の実子)にあたる。
青森県立三戸高等学校を経て日本大学へと進む。同大学在籍時代には、1979年の全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インターカレッジ)・1kmタイムトライアルで優勝、1980年の全日本アマチュア自転車競技選手権大会では、スクラッチレース(現在はスプリントに名称変更)で優勝[2]し、同年開催のモスクワオリンピック日本代表選手に選出されたが、同年5月24日、日本オリンピック委員会(JOC)が同大会の不参加を決定したことから、オリンピック出場は幻となってしまった。
その後、競輪学校51期生となった。同期には本田晴美、山田英伸、戸邉英雄などがいる。競輪学校時代の競走成績は73勝を挙げ第2位。
1983年4月22日、前橋競輪場でデビューし、初勝利を挙げた。1985年 - 1994年頃まで、常時特別競輪(現在のGI)の出場機会を得ていたが、特筆すべき戦績は残していない。
参考文献
編集- ^ モスクワオリンピック(1980年)青森県関係出場選手一覧 (PDF)
- ^ 記憶に残る名選手その5 - ある高卒技術士の日々雑感 2007年9月17日付記事
外部リンク
編集- 選手通算成績 - KEIRIN.JP