坂口裕之

日本の野球選手、指導者

坂口 裕之(さかぐち ひろゆき、1965年8月2日 - )は、日本の野球選手外野手)、野球指導者。現役時代は俊足好打の外野手だった[1]

坂口 裕之
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県都城市
生年月日 (1965-08-02) 1965年8月2日(59歳)
身長
体重
170 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督
  • 日本石油
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 1992年
オリンピック
男子 野球
1992 野球

経歴

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高鍋高等学校では3年の時、第65回全国高等学校野球選手権大会に出場。一回戦で旭川竜谷高校に10対2で勝ったが、二回戦で水野雄仁らを中心に『やまびこ打線』と呼ばれる強打を誇った池田高校に0対12で敗れている。高校卒業後は明治大学に進み、1年の秋には六大学リーグ戦に出場して優勝を経験。2年の1985年には秋季リーグ戦で外野手として初のベストナインに選出された。3年秋には再びリーグ優勝を果たし、4年次には主将を任されている[2]

1988年社会人野球日本石油に入社。一年目はチームが都市対抗予選で敗退したものの、三菱重工横浜の補強選手として自身は出場を果たした。1991年には主将に就任し、同年の東京スポニチ大会および日本選手権でチームを優勝に導いている。1992年バルセロナ五輪では日本代表にチームメイトの徳永耕治若林重喜小桧山雅仁らとともに選出されている。同五輪では全試合に中堅手として先発出場し、予選リーグ第2戦の対スペイン戦以降は九番を務めた[3]打率.292で打線の繋ぎ役となり、巧みな外野守備でチームを支えた[4]

1993年の都市対抗では決勝戦の対日本通運戦で延長11回に盗塁を決めて決勝点となる得点を挙げ[2]、自身初となる同大会優勝を果たした。翌年に都市対抗は本大会一回戦、日本選手権は予選でそれぞれ敗退し、同年で現役を引退した。1997年に日本石油の監督に就任するが、前年のドラフト会議では川村丈夫小野仁高橋憲幸投手3名と捕手大久保秀昭が一斉にプロ入りしており、同年から2年間は都市対抗の予選で敗退している。1999年の都市対抗でベスト8まで進み、2000年都市対抗出場を果たすと同年で監督を引退した。

その後、2003年には第35回IBAFワールドカップをはじめ、第23回アジア選手権第16回IBAFインターコンチネンタルカップ第25回アジア選手権などで日本代表のコーチに就いている。また、2006年からはNHK高校野球の解説者も務めている。解説者としては、穏やかな口調で選手を否定しない解説で、人気解説者の仲間入りを果たしている。

東京2020組織委員会の大会運営局・会場運営担当部長を務める[5]

2022年7月17日に開催された野球の派生競技・ベースボール5の大会である「第1回 Baseball5 日本代表決定戦」でゲスト解説を務めた[6]

脚注

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  1. ^ JABA広報事項
  2. ^ a b JX-ENEOS野球部 坂口裕之
  3. ^ 別冊宝島、1545号、P.79
  4. ^ 別冊宝島、1545号、P.82
  5. ^ 坂口裕之(日本石油)/7年連続で都市対抗に出場した名門のキャプテン”. 週刊ベースボールONLINE (2019年6月10日). 2021年1月16日閲覧。
  6. ^ 「第1回 Baseball5 日本代表決定戦」 決勝イベントゲスト決定”. Baseball5日本代表オフィシャルサイト (2022年7月13日). 2022年8月2日閲覧。

関連項目

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