在ヌメア領事事務所
在ヌメア領事事務所(フランス語: Bureau consulaire du Japon à Nouméa、英語: Consular Office of Japan in Nouméa)は、フランス領ニューカレドニアの首都ヌメアに設置されている日本の領事事務所である。2023年1月より、増田是人が所長を務めている[1][2]。
在ヌメア領事事務所 Bureau consulaire du Japon à Nouméa | |
---|---|
所在地 | フランス領 ニューカレドニア・ヌメア |
住所 | Hilton Noumea La Promenade Residences Numéro de chambre : B302 109 Promenade Roger Laroque Nouméa 98807 Nouvelle-Calédonie France |
座標 | 南緯22度16分50.8秒 東経166度26分34.2秒 / 南緯22.280778度 東経166.442833度座標: 南緯22度16分50.8秒 東経166度26分34.2秒 / 南緯22.280778度 東経166.442833度 |
開設 | 1940年(帝国領事館) 1972年(名誉領事館) 2023年(領事事務所) |
管轄 | ニューカレドニア・ フランス領ポリネシア・ ウォリス・フツナ |
総領事 | 増田是人 |
ウェブサイト | www |
歴史
編集大日本帝国時代の1940年3月20日、在ヌメア日本帝国領事館(フランス語: Consulat du Japon à Nouméa、英語: Consulate of Japan in Nouméa)が設置された[3]。但し、ヌメアの帝国領事館は大東亜戦争(太平洋戦争)勃発に伴い僅か2年足らずで閉鎖されている[4]。大日本帝国に対して協力的だったフランス領インドシナ(仏印)とは対照的に、ニューカレドニアは従前より自由フランスや連合国に肩入れしており、1941年12月8日、真珠湾攻撃による日米開戦の報が入るや否や警察が現地在住の日本人男性を次々と逮捕し、当日だけで帝国領事館に勤務する外交官を含む約380名を拘禁所に収容したのである[3]。
1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により日本が独立したが、ニューカレドニアを領有するフランスも同条約締結国のうちの一国で、第二次世界大戦により途絶していた日仏関係が再開された[5]。1972年2月、日本での留学経験があり日本人女性と結婚した日系ニューカレドニア人の実業家ジョルジュ・ツツイが名誉領事を拝命したことによって、在ヌメア日本国名誉領事館(フランス語: Consulat Honoraire du Japon à Nouméa、英語: Honorary Consulate of Japan in Nouméa)が開館した[6][7]。
2023年1月1日、在ヌメア領事事務所が新設された[8][9]。初代所長は増田是人[1][2]。ニューカレドニアに日本の領事機関が置かれるのは第二次世界大戦終結後では初の例である[4]。同年3月4日、ヌメア市庁舎で領事事務所の開所式・レセプションが開催され、フランス・ニューカレドニアからはジェラルド・ダルマナン内務・海外領土相、ジャン=フランソワ・カレンコ海外領土担当相、ソニア・バッケス市民権担当長官、ソニア・ラガルド市長などの要人が、日本からは現地日系企業関係者や山田賢司外務副大臣が出席した[10][11]。
所在地
編集ヒルトン・ホテルズ&リゾーツが営業するホテル「ヒルトン・ヌメア・ラ・プロムナード・レジデンス」(フランス語: Hilton Noumea La Promenade Residences)のB302号室に入居している。住所は以下の通り[12][13]。
Hilton Noumea La Promenade Residences
Numéro de chambre : B302
109 Promenade Roger Laroque
Nouméa 98807 Nouvelle-Calédonie France
館長
編集領事(1940年 - 1941年)
編集代 | 氏名(日本語) | 氏名(フランス語) | 着任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 黒木時太郎 | Tokitaro Kuroki | 1940年 | 1941年 | [3] |
2 | 山下芳郎 | Yoshiro Yamashita | 1941年 | 1941年 | [3] |
名誉領事(1972年 - 2022年)
編集代 | 氏名(日本語) | 氏名(フランス語) | 着任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | ジョルジュ・ツツイ(日本名: 筒井譲二[14]) | Georges Tsutsui | 1972年 | 1978年 | 在任中に逝去[6][7] |
- | 空席 | Vacant | 1978年 | 1984年 | [6][7] |
2 | アンドレ・ナカガワ | André Nakagawa | 1984年 | 2005年 | [6][7] |
3 | マリー=ジョゼ・ミッシェル(マリージョセ・ミッシェル) | Marie-José Michel | 2005年 | 2020年 | [15][16] |
4 | コリーヌ・モリ | Corinne Mori | 2020年 | 2022年 | [16][17][18] |
領事事務所長(2023年 - )
編集代 | 氏名(日本語) | 氏名(フランス語) | 着任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 増田是人 | Korehito Masuda | 2023年 | 2024年 | [1][2] |
2 | 堀田裕子 | Yuko Hotta | 2024年 | (現職) |
管轄地域
編集ニューカレドニア、フランス領ポリネシア及びウォリス・フツナ(ワリス・フテュナ)を管轄[12][13]。
出典
編集- ^ a b c 領事事務所長からのご挨拶 | 在フランス日本国大使館
- ^ a b c Message du chef de bureau | Ambassade du Japon en France
- ^ a b c d 『成安造形大学紀要 第8号』pp.59-82 所収の津田睦美教授による論文「史料紹介『ヌメア領事館引揚報告書』仏領ニューカレドニアにおける日本人の戦時体験」
- ^ a b <関学研究室から~神戸三田キャンパス>ニューカレドニア 総合政策学部・津田睦美教授 | 三田 | 神戸新聞NEXT
- ^ VI 平和条約の批准・発効
- ^ a b c d 「FEU NOS PERES」展以前の日本とニューカレドニアの関係
- ^ a b c d Les relations entre le Japon et la Nouvelle-Calédonie avant « FNP »
- ^ 我が国在外公館等の新規開設 | 外務省
- ^ Ouverture du nouveau bureau consulaire du Japon à Nouméa (Nouvelle-Calédonie) | Ambassade du Japon en France
- ^ 山田外務副大臣のフランス領ニューカレドニア訪問(結果) | 外務省
- ^ Visit to French New Caledonia by Mr. YAMADA Kenji, State Minister for Foreign Affairs | Ministry of Foreign Affairs of Japan
- ^ a b 在ヌメア領事事務所
- ^ a b Bureau consulaire du Japon à Nouméa
- ^ 『職員錄1973第1部』479頁3段目
- ^ 名誉(総)領事一覧 | 外務省(2017年7月4日時点のアーカイブ)
- ^ a b Nouvelle consule honoraire du Japon | DNC.NC
- ^ コリーヌ・モリ在ヌメア名誉領事の任命について | 在フランス日本国大使館
- ^ Nomination de Madame Corinne MORI au poste de Consule honoraire du Japon à Nouméa | Ambassade du Japon en France