土田國保

日本の警察官僚、警視総監、防衛大学校長

土田 國保(つちだ くにやす、1922年大正11年〉4月1日 - 1999年平成11年〉7月4日[1])は、日本の警察官僚警視総監(第70代)、防衛大学校長(第4代)[2][3]愛称は「ミスター警視庁[4]剣道7段(居合)。

肖像(防衛大学校ホームページより)

来歴・人物

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父・土田誠一、母・敬子の長男として東京府生まれ。小学校6年間は学習院初等科で学び、5年生より生涯の趣味となる剣道を始める[3]旧制東京高校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省[1]。同年9月に短期現役主計科士官(第10期)に採用されて海軍経理学校で短期間の教育を受け、1944年(昭和19年)3月に同校を卒業して海軍主計中尉に任官した[5]戦艦武蔵にも乗り組み、主計大尉で終戦を迎えた[5]

志願して1958年より外務省香港総領事館に家族を伴い赴任[3]。帰国後、警察庁警備部長、警視庁刑事部長、警務部長を歴任。

警視庁警務部長時代の1971年(昭和46年)12月18日お歳暮の贈答品に擬装された爆弾雑司ヶ谷の自宅に郵送され、爆発により妻が即死、13歳だった四男は重傷を負った(土田・日石・ピース缶爆弾事件)。前年同日に発生した上赤塚交番襲撃事件の記者会見で、土田は警官の拳銃使用の正当性を主張する部下の佐々淳行をかばっており、これが土田の談話として報道されていた。テロはこれに刺激を受けた新左翼による犯行とされる。土田は事件当日に開かれた記者会見で、「治安維持の一旦を担う者として、かねてからこんなことがあるかもしれないと思っていた。私は犯人に言う。君等は卑怯だ。……家内に何の罪もない。家内の死が一線で働いている警察官の身代わりと思えば……もう一言、犯人に言いたい。二度とこんなことは起こしてほしくない。君等に一片の良心があるなら……」と述べた[6]。このとき土田は冷静に振舞っていたが、「お尻の穴をぎゅっと締め、へその下に力を込め、大きく深呼吸してすっと立ち上がり、平静を装って指示を出す」行動をとっさに取っていたのだと後に防衛大学校校長として学生に訓示している[7]。 この事件以降、土田は新左翼過激派に対して強硬姿勢で臨むようになった。

1975年(昭和50年)から警視総監を務め[1]連続企業爆破事件の主要メンバー7人を検挙したが、1978年(昭和53年)2月の北沢警察署巡査による世田谷区内での制服警官女子大生殺人事件により国家公安委員会から戒告を受け、引責辞任した。

辞任後は防衛大学校校長(第4代)に就任し、1987年(昭和62年)まで務めた。歴代の学校長の中で最も優れた学校長、最も尊敬された学校長として今でも慕われている。

キャリア・ノンキャリアの別なく部下を可愛がる面倒見の良い人物で、生前の妻とともに警察関係者からは慕われていた[6]

剣道の達人としても有名で、警視総監時代に警視庁管内の全警察署警察学校機動隊の朝稽古に参加。全日本剣道連盟顧問も務め、生涯にわたって指導し続けた。

没後、由利本荘市矢島町龍源寺に葬られる[8]

略歴

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家族・親族

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縁戚に学者が多い。

出版物

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著書
  • 『小原台の三年』 1982 防衛大学校
  • 『続・小原台の三年』 1984年 防衛大学校
  • 『三班戰記』 1996
刊行
  • 『土田誠一先生の思いで』 1977 

脚注・出典

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  1. ^ a b c d 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “土田国保(つちだ くにやす)とは - コトバンク”. コトバンク. 2018年10月7日閲覧。
  2. ^ 歴代学校長”. 防衛大学校. 2023年11月26日閲覧。 “第4代学校長”
  3. ^ a b c d e f g 『弘道 』 1999.
  4. ^ 秋田県議会議員 佐藤健一郎の活動報告” (2012年2月13日). 2023年11月30日閲覧。 “現在第89代の警視総監が就任しているにも拘わらず「ミスター警視庁」と呼称されているのは、私の郷土の偉人である土田国保氏だけです。”
  5. ^ a b 元乗組員である土田國保氏の手記と回想”. 軍艦武蔵会. 2023年6月21日閲覧。
  6. ^ a b 佐々淳行 『連合赤軍「あさま山荘」事件』 文藝春秋、1996年
  7. ^ 震災直後 宮城県知事は現場視察やめ、県庁で調整役に専念した│NEWSポストセブン”. www.news-postseven.com (2012年3月23日). 2018年10月7日閲覧。
  8. ^ 佐藤健一郎, 正顕氏も国保氏と同じく矢島町の龍源寺に眠っております。.
  9. ^ 土田恭四郎 新交響楽団 団員紹介コーナー(1997.6月号)より - ウェイバックマシン(2016年2月20日アーカイブ分)
  10. ^ 団長あいさつ新交響楽団 プロフィル
  11. ^ 『弘道 』 1999, p. 78.

関連項目

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参考文献

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外部リンク

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