土浦市立土浦小学校
土浦市立土浦小学校(つちうらしりつ つちうらしょうがっこう)は、茨城県土浦市大手町にある市立小学校。略称は、「土小」(どしょう)。
土浦市立土浦小学校 | |
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校舎(2015年11月) | |
北緯36度05分02秒 東経140度11分50秒 / 北緯36.083889度 東経140.197222度座標: 北緯36度05分02秒 東経140度11分50秒 / 北緯36.083889度 東経140.197222度 | |
過去の名称 |
土浦町第一番小学 土浦尋常小学校 土浦尋常高等小学校 土浦国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 土浦市 |
併合学校 | 土浦市立宍塚小学校 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)2月 |
創立記念日 | 4月15日 |
共学・別学 | 男女共学 |
小中一貫教育 | 土浦市立土浦第一中学校 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B108220300017 |
所在地 | 〒300-0044 |
茨城県土浦市大手町13-32 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
概要
編集1873年(明治6年)2月に開校し[1]、2022年(令和4年)で創立150周年を迎えた。
土浦市の中心市街地に位置する。校地は、土浦藩の高級武士の屋敷地であった[1]。近隣に亀城公園、市立博物館があり、図画工作や総合的な学習の時間等で活用されることが多い。
2014年(平成26年)5月1日現在の児童数は25学級673人[2]。4年生以上はクラブに、5年生以上は委員会に入る。昔から土浦小学校の児童は『たまきの子』と呼ばれる。
金色で一輪の輪を描いた校章「たまき」が1902年(明治35年)1月に制定された[3]。(当初は、赤色の一輪だった。)「たまき」は環・輪の意味であり、「いつでも どこでも 誰とでも仲良くできる子どもたちに育ってほしい」という願いが込められている。
校歌は1935年(昭和10年)、赤塚庄三郎校長時代に古森軍治訓導が詩人野口雨情に作詞を依頼、作曲は平岡均之が行った[4]。雨情は、土浦に着いた日は古森の案内で町を回り、その後2日間かけて1人で町を回って校歌を作詞したという[1]。完成した校歌には土浦城(亀城)や桜川など学区の名所を含めながら、校章に込められた「たまき」の教育方針をうまく表現していたことから、当時の学校関係者は大いに満足したという[1]。玄関前には、1976年(昭和51年)の卒業生の建てた校歌の歌碑が設置されている[5]。
各階の校舎廊下は100メートル (m) を超える。また、校舎改築工事が2014年1月15日に完了した[6]。新校舎は鉄筋コンクリート構造3階建てで、延床面積は8,095平方メートル (m2)、設計は横須賀満夫建築設計事務所、施工は株木・山本特定建設工事共同企業体である[6]。
2018年4月(平成30年度)より,土浦第一中学校の学区の小学校として小中一貫校となる[7]。入学式は前期課程入学式,卒業式は前期課程卒業式となる。
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校庭(2015年11月)
通学区域
編集市立中学校へ進学する場合は、全員が土浦市立土浦第一中学校へ進学する[8]。
- 飯田
- 生田町
- 大手町
- 大町
- 粕毛
- 川口(一・二丁目)
- 湖北(一・二丁目)
- 桜町四丁目
- 佐野子
- 城北町
- 千束町
- 立田町
- 田中(一 - 三丁目)
- 田中町
- 中央(一・二丁目)
- 東崎町
- 文京町
- 虫掛
- 矢作
- 大和町
- 常名の一部
- 宍塚の一部
特記事項
編集脚注
編集- ^ a b c d 本堂(1989):420ページ
- ^ 茨城県教育委員会(2014):29ページ
- ^ 本堂(1989):422ページ
- ^ 本堂(1989):419 - 420ページ
- ^ 本堂(1989):419ページ
- ^ a b “土浦市立土浦小学校校舎・屋内運動場 完成”. 日刊建設工業新聞. 2015年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月14日閲覧。
- ^ 土浦市小中一貫教育 基本方針 土浦市教育委員会 平成30年3月
- ^ “土浦市立 小・中学校通学区域”. 土浦市教育委員会学務課学事係 (2014年4月1日). 2015年11月30日閲覧。
- ^ 土浦に軍隊出動、鉄舟で救援物資運ぶ『東京朝日新聞』(昭和13年7月1日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p221 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年