土方豊義
伊勢菰野藩4代藩主。土方豊高の長男。従五位下、丹後守。大坂加番
土方 豊義(ひじかた とよよし)は、伊勢菰野藩の第4代藩主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄2年8月3日(1689年9月16日) |
死没 | 享保4年7月1日(1719年8月16日) |
改名 | 彦丸(幼名)、豊義 |
戒名 | 寛光院殿仁海宗智大居士 |
墓所 | 三重県三重郡菰野町菰野の見性寺 |
官位 | 従五位下、丹後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢菰野藩主 |
氏族 | 土方氏 |
父母 |
父:土方豊高、母:織田長頼の娘 養父:土方雄豊 |
妻 | 正室:永井直敬の娘 |
子 |
雄房、雄端、 娘(織田信方正室)、娘(河鰭輝季室)、 娘(渡辺邦綱正室のち大久保忠肥継室) |
元禄2年(1689年)8月3日、第3代藩主・土方雄豊の嫡男・豊高の長男として江戸で生まれる。父が1698年に早世したため祖父の養子となり、宝永2年(1705年)の祖父の死去で跡を継いだ。ただし、若年のために叔父の久長が後見人とした。このとき、久長に1000石を分与したため、菰野藩は1万1000石となった。
享保3年(1718年)、大坂加番となったが、まもなく発病して享保4年(1719年)7月1日、在任中のまま大坂城で死去した。享年31。跡を長男の雄房が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 永井直敬の娘
側室
- 魏光院
子女