土師猪手
土師 猪手(はじ の いて)は、飛鳥時代の人物。氏姓は土師連、のち土師娑婆連(はじのさばのむらじ)。土師磐村の子。冠位は大仁。
時代 | 飛鳥時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 皇極天皇2年11月1日(643年12月20日) |
官位 | 大仁 |
主君 | 推古天皇→舒明天皇→皇極天皇 |
氏族 | 土師連→土師娑婆連 |
父母 | 父:土師磐村 |
経歴
編集推古天皇11年(603年)に征新羅大将軍であった来目皇子の葬儀を周防国で行っている。周防国佐波に来目皇子の殯宮を造ったことから、娑婆連姓を名乗るようになった。
皇極天皇2年(643年)、皇極天皇の生母である吉備嶋皇祖母命(吉備姫王)が薨去し、天皇の詔によって吉備姫王の葬儀執行を担当する。
しかしその年の11月1日(12月20日)の上宮王家襲撃事件では、巨勢徳多に従い100名の兵で斑鳩宮を攻めるが奴三成によって返り討ちにされる。