土屋喬雄

日本人の経済学者

土屋 喬雄(つちや たかお、1896年明治29年〉11月21日[1] - 1988年昭和63年〉8月19日[2])は、日本経済学者東京大学名誉教授東京都生まれ。日本経済史専攻。

来歴・人物

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仙台一中卒業ののち、1918年旧制第二高等学校を卒業し[3]1921年東京帝国大学卒業[4]1924年東京帝国大学経済学部助教授[5]日本資本主義論争では労農派の論客として活躍。人民戦線事件に連座し、大学を追放される。戦後、大学復帰。1954年に「封建社会崩壊過程の研究」により東京大学から経済学博士の学位を授与される[6]

1957年に東京大学を定年退官した後は明治大学千葉敬愛経済大学駒澤大学拓殖大学城西大学で教授として教鞭をとる[1]1970年旭日中綬章1974年日本学士院会員。1988年叙正四位、叙勲二等瑞宝章

1936年から28年間にわたり『渋沢栄一伝記資料』の編纂に関わった[7]。その貢献により1965年度朝日賞文化賞を受賞[8]。墓所は多磨霊園[9]

旧蔵書は現在、概ね明治維新以前のものを東京大学経済学部が、それ以降を一橋大学附属図書館が所蔵している。

参考文献

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  • 署名なし「土屋喬雄先生略歴・著作目録」『地方金融史研究(地方金融史研究会編)』第20号、全国地方銀行協会、1989年、107-110頁、NAID 40002369583 
  • 山口和雄「土屋喬雄氏の訃(学界消息)」『日本歴史』第486号、吉川弘文館、1988年、127頁。 

脚注

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