国司仙吉
日本の長州藩士、官僚
国司 仙吉(くにし せんきち、1846年(弘化9年)[1] - 1915年(大正4年)12月25日[2])は、幕末の長州藩士、明治期の官僚。秋田県権令。他の通称・千吉郎、号・水門[3]。
経歴
編集長門国萩城下で長州藩士・国司右内、まし夫妻の息子として生まれた[1]。安政4年(1857年)春、松下村塾に入り、安政5年(1858年)吉田松陰の野山再獄まで指導を受ける[3][4]。文久3年(1863年)若殿様御前詰、元治2年(1865年)御小姓役となる。また、干城隊に入り、その後、御楯隊に転じ、改組された整武隊に慶応3年(1867年)まで在籍した[5]。慶応4年(1868年)12月、御蔵元順番検使役に就任し、さらに会計局検使、大坂検使役、会計局権大属などを歴任[6]。
明治政府に出仕し、明治4年(1871年)8月、宮谷県大参事に任官。以後、木更津県参事、兼印旛県参事を務めた[3]。1873年5月、秋田県権令に発令された[3][6][7]。地元出身者の官吏登用、養蚕振興、学制を施行し寺子屋を全廃するなどの施策を推進した[8]。明治7年度(1874年度)の徴兵の際に、県の担当者が年齢計算を誤って召集を行い、その事後処理が不適切であったことなどから、1875年5月15日、依願免本官と同時に位記返上が申し渡された[9]。
1877年1月、工部少書記官、秋田県阿仁鉱山分局勤務となる。以後、内務権大書記官、工部権大書記官・用度課長を歴任し、1885年12月、工部省が廃止され非職となった。その後、千葉県木更津に移り事業を行った[10]。
親族
編集伝記
編集- 小山須磨子『國司仙吉の生涯 : 明治に生きた地方政治家』小山須磨子、2000年。
脚注
編集参考文献
編集- 海原徹『松下村塾の明治維新 : 近代日本を支えた人びと』ミネルヴァ書房、1999年2月。ISBN 462302962X。 NCID BA39739724。
- 秦郁彦 編『日本官僚制総合事典 : 1868-2000』東京大学出版会、2001年11月。ISBN 4130301217。 NCID BA54424693。
- 吉田祥朔『近世防長人名辞典』(増補)マツノ書店、1976年6月1日。 NCID BN02934961。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年11月。 NCID BN06916098。