四世 浜村 蔵六(よんせ はまむら ぞうろく、男性、文政9年(1826年) - 明治28年(1895年2月24日)は、明治期の日本の篆刻家である。

正本氏、後に塩見氏を名乗る。は観侯、は大澥、蔵六をし、別号に薇山・雨村。通称参蔵。備前岡山(岡山県瀬戸内市)の人。

略伝

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20代の中頃に江戸に出て、万延元年(1860年)には断絶していた浜村家を継いだ。行政官記録係になるが讒言を受けて退職し、宇都宮で教育者となる。廃藩置県後、東京に戻り須崎村に住む。明治15年(1882年)の「日本書画價額表」によれば、この頃既に篆刻家として知られていた。

明治18年(1885年)、依田学海らと白鴎社を結ぶ。明治20年(1887年)、「墨堤植桜之碑」の碑文を書しているが、後にこの碑は墨田区登録文化財に登録された。

明治27年(1894年)4月15日、火災に遭い家屋を焼失。浜村家に代々伝えられた法帖金石印譜などの貴重な書籍もすべて失ってしまう。榎本武揚の厚意により近所に仮住まいする。

明治28年(1895年)2月に没する。享年71。谷中天王寺に墓所がある。

著作

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  • 『晩悔堂印識』
  • 『蔵六居印略』

出典

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関連項目

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