喜連川 彭氏(きつれがわ ちかうじ)は、江戸時代後期の大名下野喜連川藩の第8代藩主。

 
喜連川彭氏
時代 江戸時代後期
生誕 明和8年11月22日1771年12月27日
死没 天保4年3月7日1833年4月26日
改名 亀若丸(幼名)、彭氏
戒名 惇徳院殿允山元大居士
墓所 栃木県さくら市龍光寺
官位 右兵衛督、左兵衛督
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
下野喜連川藩
氏族 喜連川家
父母 父:喜連川恵氏
兄弟 彭氏鉄之助氏敏
正室:榊原政永の娘
暉氏綏氏煕氏
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生涯

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明和8年(1771年)11月22日、第7代藩主・喜連川恵氏の長男として生まれる。天明7年(1787年)12月15日、将軍徳川家斉御目見する。寛政元年(1789年)12月10日に父が隠居したのにともない跡を継いだ。このとき、500石を加増されて喜連川藩は5000石となる。

寛政2年(1790年)3月1日、左兵衛督に叙任する。文政13年(1830年)11月28日、三男の煕氏に家督を譲って隠居し、天保4年(1833年)3月7日に死去した。享年63。

系譜

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父母

正室

子女