喜多條忠
喜多條 忠(きたじょう まこと、1947年〈昭和22年〉10月24日 - 2021年〈令和3年〉11月22日)は、日本の作詞家、小説家。一時期は喜多条 忠の表記を使用していた[1]。
喜多條 忠 | |
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別名 | 喜多条 忠 |
生誕 | 1947年10月24日 |
出身地 | 日本 大阪府 |
死没 |
2021年11月22日(74歳没) 日本・神奈川県横浜市 |
ジャンル | 歌謡曲 |
職業 | 作詞家 |
活動期間 | 1973年 - 2021年 |
来歴
編集大阪府出身[2]。実家は昆布屋(現在の経営者は実弟)。大阪市立菅南中学校(現在の大阪市立天満中学校)、[要出典]大阪府立春日丘高等学校卒[3]、早稲田大学中退[4]。
大学中退の頃から文化放送の番組の台本書きをする。放送局で出会い、ラジオ番組の文章を書く姿を横から見たかぐや姫の南こうせつが作詞を依頼し、初めて作詞を行うようになった[5]。自身の学生時代の体験を元に書いた「神田川」をかぐや姫 (フォークグループ)に提供し大ヒットとなった。 かぐや姫に関しては三部作といわれる「神田川」「赤ちょうちん」「妹」を手がけている。
2017年、伍代夏子の「肱川あらし」で第50回日本作詩大賞を受賞。作詞やコラム・小説などの執筆活動に従事した。日本作詩家協会会長[6]、並びにJASRAC理事を務めた。
2021年11月22日6時、肺がんのため横浜市内の自宅で家族に見守られながら死去[7][8][9][4][10]。74歳没。
2022年10月に神奈川県にある鎌倉霊園の27区に墳墓が建墓された。
人物
編集競艇を趣味としており、野中和夫を始めとした選手との交流もあるほど精通し、『競艇マクール』などにコラムを連載。またスポーツ新聞に自らの予想を掲載したり、ビッグレース等のテレビ中継ではゲストに呼ばれるなど、ボートレース評論家としても活動していた[11]。
猫を飼っており、その猫を主役にして『女房逃ゲレバ猫マデモ』という小説を書いていた[12]。
また漫画家のくるねこ大和とも親交が深く、くるねこの描く漫画に猫と妻と共に何度か登場している。
男性アーティストに創った曲の歌詞には横文字のない作品が多いが、女性アーティストに創った曲には横文字が出てくるものが多い。
娘と息子がおり、息子の喜多條由佑はファッションデザイナーとしても知られている。
作品
編集- 秋元順子
- 「愛鍵」
- 「いちばん素敵な港町」
- 「なぎさ橋から」
- 「帰れない夜のバラード」
- 「たそがれ坂の二日月」
- アグネス・チャン
- 「ハロー・グッドバイ」
- 讃岐裕子、次いで柏原よしえ(現:柏原芳恵)が「ハロー・グッバイ」としてカバー
- 「ハロー・グッドバイ」
- 麻丘めぐみ
- 「ねえ」
- 梓みちよ
- 「メランコリー」
- 石川さゆり
- 「恋しゅうて」
- 「紫蘭の花」
- 「夫婦人情」
- 「女人荒野」
- いしだあゆみ
- 「港・坂道・異人館」
- 五木ひろし
- 出光仁美
- 「おんな七厘・神楽坂」
- 「一本道」
- 「男 安兵衛・喧嘩花」
- 岩崎宏美
- 「悲しみのほとり」
- 丘みどり
- 「白山雪舞い」
- 小田純平
- 「恋まくら」
- 「250パーセントの愛でつつんで」
- 鳳しん也
- 「博多恋橋」
- 小野寺昭
- 「愛」
- かぐや姫
- 春日八郎
- 風
- 「星空」
- 柏原芳恵
- 「ハロー・グッバイ」
- 「ロンリー・バースデイ」
- 狩人
- 「白馬山麓」
- 北川大介
- 「みちのく」
- 「雪割りの花」
- 「横濱の踊り子」
- 北川大介・竹川美子
- 「伊豆の国音頭」
- 岸田敏志
- 「はーばー・れいん」
- 木之元亮
- 「都会の潮騒」
- キャンディーズ
- 「やさしい悪魔」
- 「暑中お見舞い申し上げます」
- 「アン・ドゥ・トロワ」
- 伍代夏子
- 「霧笛橋」
- 「海峡の宿」
- 「肱川あらし」
- 小林幸子
- 「ひと晩泊めてね」
- 小柳ルミ子
- 真田広之
- 「砂漠の都会に」
- 沢田研二
- 「ロンリー・ウルフ」
- 三條正人
- 「あきらめて京都」
- 島倉千代子
- 清水由貴子
- 「言問橋」
- 島津亜矢
- 「夏つばき」
- ジャンボ鶴田
- 「ローリング・ドリーマー」
- SHŌGUN
- 「男達のメロディー」
- 純烈
- 「愛でしばりたい」
- ダ・カーポ
- 城之内早苗
- 「泣き砂 海風」
- 「豆桜」
- 「酔月夜」
- 千昌夫
- 「さよなら三角また来て四角」
- 「いっぽんの松」
- 鳥羽一郎
- 「しぐれ旅」
- 中村雅俊
- 中村美律子
- 「下津井・お滝・まだかな橋」
- 「かぼちゃの花」
- 西川きよし
- 「子供が3人おりますねん」
- 西崎みどり
- 「流星」(『新・必殺仕舞人』主題歌)
- 西田あい
- 「ときめきカフェテラス」
- 野口五郎
- 「風の駅」
- 能瀬慶子
- 「アテンション・プリーズ」
- 松坂慶子
- 松村和子
- 「えいやさコルトン」(ニッケコルトンプラザ「コルトン盆踊り」オリジナル曲)[14]
- 南こうせつ
- 都はるみ
- 「大阪ふたり雨」
- 「エリカの花咲く頃に」
- 三山ひろし
- 森進一
- 「夜行列車」
- 「雪よおまえは」
- 山内恵介
- 「スポットライト」
- 山田パンダ
- 「風の街」
- 吉田拓郎
- 「風の街」
- 吉幾三
- 「男酔い」
その他多数
著書
編集- 『神田川』(1993年7月、シンコー・ミュージック)ISBN 4-401-61426-7
- 『この街で君と出会い』(1975年、立風書房)ISBN 978-0095975285
- 『会うたびに忘れないでといってた君がサヨナラといった』
- 『ホーキを忘れた魔女達』(1979年、立風書房)
- 『女房逃ゲレバ猫マデモ』
- 2008年10月、幻戯書房 ISBN 978-4-901998-37-6
- 2015年5月15日、ハルキ文庫 ISBN 978-4-7584-3896-4[15]
脚注
編集- ^ “心に残る歌を、あともう一曲 1/3”. club-willbe. 2021年8月27日閲覧。
- ^ “本日10月24日は「神田川」の作詞家・喜多條忠の誕生日”. ニッポン放送 (2018年10月24日). 2020年8月27日閲覧。
- ^ 藤蔭会誌 第60号 - 藤蔭会公式ページ Kasugaoka Alumni Association
- ^ a b “名曲「神田川」の作詞家・喜多條忠さん死去、74歳…南こうせつさん「大事な戦友失った」”. 読売新聞. (2021年12月1日) 2021年12月2日閲覧。
- ^ NHKうたコン▽生放送!こうせつ「神田川」▽ギター特集!(2022年6月21日放送)の番組内で、南こうせつが語った内容である
- ^ “日本作詩家協会 公式サイト || ご挨拶”. jla-official.com. 2021年8月27日閲覧。
- ^ “「神田川」など作詞・喜多條忠さん、肺がんのため死去 74歳”. ORICON NEWS. (2021年12月1日) 2021年12月1日閲覧。
- ^ “「神田川」作詞家・喜多條忠さん死去、74歳 吉田拓郎と数々のヒット曲”. 日刊スポーツ. (2021年12月1日) 2021年12月1日閲覧。
- ^ “南こうせつ「大事な戦友を失い、寂しい気持ちでいっぱい」喜多條忠さん追悼”. 日刊スポーツ. (2021年12月1日) 2021年12月1日閲覧。
- ^ “喜多條忠さん死去に南こうせつ「2人でもう一度いい歌作ろうよ」、石川さゆり「年内に会う約束していた」”. スポーツニッポン. (2021年12月1日) 2021年12月11日閲覧。
- ^ "作詞家・喜多條忠さん逝く、南こうせつに文才見込まれ「神田川」などヒット曲 ボートレース評論家の顔も". スポニチAnnex. スポーツニッポン新聞社. 1 December 2021. 2024年9月4日閲覧。
- ^ 喜多條忠さんとてぼにゃん ペット大好き! 中日新聞
- ^ “【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】喜多條忠さん、「神田川」が大ヒットも代々木のアパート暮らし”. zakzak. 2021年8月27日閲覧。
- ^ 市川の音楽 - 市川市立図書館(2020年6月25日)、2023年8月26日閲覧。
- ^ 喜多條, 忠. 女房逃ゲレバ猫マデモ