和多屋別荘
和多屋別荘(わたやべっそう、会社名:株式会社和多屋別荘)は、佐賀県嬉野市に本社を置く旅館業を営む企業、ならびに温泉旅館の名称。
和多屋別荘 外観 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 和多屋別荘 |
本社所在地 |
日本 〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙738 |
設立 | 1950年11月3日 |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 7300001004839 |
事業内容 | 旅館業 |
代表者 | 小原嘉元(代表取締役社長) |
関係する人物 |
小原嘉登次(創業者) 黒川紀章(設計) |
外部リンク | 嬉野温泉 和多屋別荘 |
概要
編集佐賀県嬉野温泉の老舗温泉旅館。嬉野川を挟む2万坪の敷地に、黒川紀章設計の「タワー館」や江戸時代の長崎街道を再現した「花鳥苑」、小露天風呂付の部屋を備えた「みやび館」、和室「温泉郷」、和風建築「水明荘」の5つの棟で構成されている。
旧長崎街道の商店街に面しており、江戸時代には薩摩藩(島津家)の御用宿となっていた歴史がある。その歴史的由来を活かすため薩摩藩の家紋が社章として定められた。
昭和天皇が宿泊した水明荘の特別貴賓室「洗心」、皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王が宿泊したタワー館「ロイヤルスイートルーム」がある。前述の特別貴賓室「洗心」は、第20期竜王戦七番勝負第4局やお〜いお茶杯第63期王位戦七番勝負第4局の会場(予定)[1]としても使用された。
1950年(昭和25年)開業当時のキャッチフレーズは、「日本に名所が又一つ、嬉野湖畔の別天地」で、創業者の小原嘉登次が考案した。また開業に際し、関西以西の西日本各地にセスナ機で200万枚の空中宣伝ビラを散布し、「旅は九州へ・九州へお越しの節は嬉野温泉へ・和多屋別荘」の宣伝文句で、嬉野温泉の名を一躍全国区へと押し上げた。
施設
編集- 旅館
- 和多屋別荘(嬉野温泉)
- 所在地:〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙738
- 総客室:129室
- 収容人員:300名
- タワー館(79室)
- 温泉郷(17室)
- みやび館(12室)
- 花鳥苑(13室)
- 水明荘(8室)
- 温泉:大浴場「御影殿」、露天風呂「浮世風呂」、離れの湯殿「心晶」、貸切風呂
- 館内施設:「日本料理 利休」、佐賀牛レストラン「李荘庵」、お茶と読書が愉しめる書店「BOOKS&TEA 三服」、「Made in ピエール・エルメ」、「ローカルデリカテッセン季設」、オリエンタルスパ「サバイ・サバイ」、「副島園 the BAR」
- 駐車場:普通車109台(有料)
沿革
編集- 1943年(昭和18年) - 和多屋旅館継承
- 1950年(昭和25年) - 和多屋別荘開業
- 1966年(昭和41年) - 株式会社へ改組
- 1977年(昭和52年) - タワー館完成
- 1978年(昭和53年) - 小原健史が社長に就任
- 1983年(昭和58年) - ヴィラテニスクラブ オープン
- 1985年(昭和60年) - 水明荘改装オープン
- 1988年(昭和63年) - 花鳥苑改装オープン
- 1990年(平成2年) - テーマパーク「肥前夢街道」をオープン。
- 1992年(平成4年)5月7日~8日 - 将棋の第50期名人戦第3局▲中原誠名人△高橋道雄九段(肩書はいずれも当時のもの)戦が当所で行われ[2]、127手で先手の中原名人が勝利した。
- 1993年(平成5年)3月 - みやび館改装オープン
- 1996年(平成8年)
- 6月 - タワー館シアター改装
- 8月 - お食事処利休改装オープン
- 2003年(平成15年)4月 - ウエディングハウス「The Cotton Club」オープン
- 2004年(平成16年)12月 - 湯殿「心晶」オープン
- 2005年(平成17年) - 「肥前夢街道」の経営権を譲渡し、事業より撤退。
- 2007年(平成19年)9月 - レストラン「佐賀牛賓館」オープン
- 2007年(平成19年)11月21日~22日 - 将棋の第20期竜王戦第4局▲渡辺明竜王△佐藤康光二冠(肩書はいずれも当時のもの)戦が当所で行われ[3]、101手で先手の渡辺竜王が勝利[4]した。
- 2008年(平成20年)3月 - タワー館12階(最上階)改装 「展望温泉付客室」オープン
- 2010年(平成22年)
- 3月 - タワー館12階洋室を改装
- 11月3日 - 創業60周年
- 2013年(平成25年)2月5日 - 小原嘉元が社長に就任
- 2014年(平成26年)9月 - 大浴場エントランスリニューアル
- 2015年(平成27年)11月 - みやび館 露天風呂付客室改装
- 2017年(平成29年)
- 1月 - ヴィラテニスクラブ 閉業
- 10月 - タワー館12階(最上階)改装 「和モダンルーム」オープン
- 2021年(令和3年)8月18日~19日 - 将棋の第62期王位戦第4局△藤井聡太王位▲豊島将之竜王(当時)戦が当所で行われる予定であった[5]が、直前に記録的大雨により被害を受けた[5]ため、当所での対局は行われなかった[6]。
- 2022年(令和4年)8月15日~16日 - 将棋の第63期王位戦第4局▲藤井聡太王位△豊島将之九段戦が当所で行われる予定であった[7][8]が、豊島の体調不良(新型コロナウイルス感染症の陽性判定)により中止となった[9]。
- 2023年(令和5年)8月15日~16日 - 将棋の第64期王位戦第4局△藤井聡太王位と▲佐々木大地七段戦が当所で行われ、85手で先手の佐々木七段が勝利した。
アクセス
編集宮崎県青島再開発の表明と撤退
編集2008年9月、宮崎市青島で廃業から15年以上放置されていた橘ホテルの跡地につき、再開発を行う事業者に決定した[12]。2009年12月より解体工事が始まり、2010年6月に完了した[13]。跡地には新たにホテルが建設される予定であったが、2012年5月に宮崎市は和多屋別荘が設立した事業会社が撤退を決めたと発表し、再開発計画は白紙となった[14]。事業会社と土地を管理する宮崎市折生迫財産区との間では、事業会社側から撤去費用の損害賠償を求める訴訟が、財産区の側からは土地賃料の支払と明け渡しを求める訴訟がそれぞれ宮崎地方裁判所に起こされた[15]。土地明け渡しについては2012年11月28日に両者の間で和解が成立[15]、損害賠償訴訟については2014年3月28日に宮崎地裁は事業会社の請求を棄却し[16]、事業会社側は控訴を断念した[17]。
脚注
編集- ^ 「令和の天才」藤井聡太二冠、嬉野へ! 王位戦嬉野対局を楽しむポイントを解説村上大祐(佐賀県嬉野市長)note(2021年7月5日)
- ^ “王位戦中継ブログ:和多屋別荘”. 王位戦中継ブログ (2023年8月15日). 2023年8月15日閲覧。
- ^ “竜王戦中継plus:対局前日”. 竜王戦中継plus (2007年11月20日). 2022年4月21日閲覧。
- ^ “竜王戦中継plus:渡辺竜王、勝利”. 竜王戦中継plus (2007年11月22日). 2022年4月21日閲覧。
- ^ a b “<佐賀2021大雨>嬉野の和多屋別荘、大浴場浸水 別浴場で営業継続”. 佐賀新聞LiVE (2021年8月17日). 2022年4月21日閲覧。
- ^ 対局は関西将棋会館に場所を変更した上で実施された。
- ^ “王位戦第4局は8月、佐賀県嬉野市で 昨年予定も豪雨で変更”. 西日本新聞. (2022年2月22日)
- ^ 「藤井新王将祝賀会」ダイジェスト(佐賀県上峰町「吉野ヶ里温泉ホテル卑弥呼の湯」)スポニチチャンネル2022年3月3日配信
- ^ “お~いお茶杯第63期王位戦七番勝負第4局延期のお知らせ”. 日本将棋連盟 (2022年8月13日). 2022年8月13日閲覧。
- ^ “【おにぎり神谷プレミアム】”. 和多屋別荘. 2023年7月17日閲覧。
- ^ “「おにぎり神谷」常設のお知らせ”. 和多屋別荘 (2022年11月25日). 2023年7月17日閲覧。
- ^ “旧橘ホテル再開発 青島観光 再起へ機運 海浜型リゾート起爆剤に”. 47news(西日本新聞). (2009年1月12日). オリジナルの2015年8月26日時点におけるアーカイブ。 2015年8月26日閲覧。
- ^ “ピックアップ - 青島の廃墟、解体完了!”. 産経宮崎新聞社. オリジナルの2010年11月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “旧橘ホテル跡地再開発、特別目的会社が撤退”. 読売新聞(九州版). (2012年5月3日). オリジナルの2012年5月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 青島の旧橘ホテル再開発頓挫/和多屋別荘社長が代表のSPC/宮崎 - JCネット(宮崎日日新聞)2012年11月29日
- ^ ブルー社の請求棄却 青島再開発跡地訴訟で宮崎地裁 - 宮崎日日新聞2014年3月29日
- ^ ブルー社、控訴断念 青島再開発跡地訴訟 - 宮崎日日新聞2014年4月8日