周山城

京都市右京区にあった城

周山城(しゅうざんじょう)は、京都府京都市右京区京北周山町(かつての丹波国桑田郡)にあった日本明智光秀の築城で、明智光忠が入ったとされる。

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周山城
京都府
周山城址
周山城址
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 明智光秀
築城年 天正8年(1580年
主な城主 明智光忠加藤光泰
廃城年 天正10年(1582年)(推定)(破城による)
遺構 曲輪、石塁、井戸跡、堀切
指定文化財 なし
再建造物 なし
位置 北緯35度9分24.000秒 東経135度37分22.000秒 / 北緯35.15666667度 東経135.62277778度 / 35.15666667; 135.62277778
地図
周山城の位置(京都府内)
周山城
周山城
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概要

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京都と若狭を結ぶ周山街道の中間地点に築かれ、標高480mの山頂部分を中心に八方向の支尾根に遺構が点在する。南北600m、東西1300mに及ぶ大規模城郭であった[1]。築城は安土城の築城開始から5年後であり[2]、石垣造りで天守を抱く近世城郭の嚆矢の姿を継いだ[3]。城郭は東の城と西の城に分かれ、特に東の城は中央最高部に天守を含む主郭を置き東西南北の四方の尾根に曲輪を連郭式に配置している[3]。城郭からは周山街道、禁裏領山国荘、木材の運搬に使われる弓削川、大堰川(上桂川)の合流点が見える。

沿革

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明智光秀

天正7年丹波を平定し近江滋賀郡に加え丹波一国を与えられた光秀は、丹波亀山城に続いて若狭から京都への交通の要衝であり、宇津頼重により禁裏領への違乱が長く行われていた東丹波統治の拠点として周山城を築城した。

築城年は根拠不明であるが地元の地誌『丹波誌』によると天正8年(1580年)とする[4]。 城主には明智光忠が入ったとされる[5]

天正9年(1581年)8月には光秀が津田宗及を招き月見をした記録が『津田宗及茶湯日記』に記されており[2]、城下の慈眼寺には善政を敷いたとの伝えと共に光秀の木像が遺っている。 しかし築城からわずか1年後の天正10年(1582年)、光秀は本能寺の変により信長を討つも、まもなく豊臣秀吉に討たれ、山崎の戦いの功により加藤光泰が入城する事となる[1]。 その後、天正12年(1584年)に秀吉が周山城を訪れた記録が『兼見卿記』に記されているもののその後の記録はなく、破城されたものと思われるが廃城年について正確にはわかっていない[2]

周山という地名について、光秀が自らを武王になぞらえて、周山と命名し、それは、信長に代わって天下人になりたいという願望を示したものだとされる。それが光秀謀反の要因の一つとされることもあるが、周山という地名はそれ以前からあるので誤りである[4]

遺構

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城郭

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現在は全域が民有地になっており主郭一部以外は杉が植林されているが、台風による倒木が多くみられ保存状態の悪化が心配される。

東の城

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東の城は天守台を含む総石垣の本丸を中心に8方向に伸びる支尾根全てに郭が築かれており、東西約800m、南北約700mの規模がある[2]。現在の主郭付近は破城の際に崩された、石垣であったとみられる石材が随所に点在しているが、城郭が大規模で破壊しきれていない石垣が一部残っているほか、井戸跡や天守台跡も確認できる。

西の城

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西の城は尾根上を平らにし、東の城との間に深さ7mの堀切を2本設け、さらに土塁によって守られていた土の城で東西約230m、南北140mの規模であった[2]

アクセス

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バス

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自家用車

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  • 天神川通りを北上→国道162号線を北上→ウッディー京北→慈眼寺から徒歩40分。
  • 慈眼寺南側に篠山藩周山代官所跡が駐車可能。

参考文献

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  • 「 周山城跡―明智光秀が築いた山城―」『リーフレット京都No.374周山城址』 (PDF) 京都市埋蔵文化財研究所、2020年2月2月18日発刊
  • 歴史読本編集部 編『ここまでわかった明智光秀の謎』(新人物往来社、2014年9月9日発行)ISBN 978-4-04-601031-5 C0121
  • 『日本の山城100名城』(洋泉社、2015年3月8日発行)ISBN 978-4-8003-0534-3
  • 八上城研究会 編 『戦国・織豊期城郭論―丹波国八上城遺跡群に関する総合研究― 』(和泉書院、2000年6月10日発行)ISBN 4-87088-996-X C3321
  • 小和田哲男「築城名人明智光秀」(『日本歴史』875号、2021年)

外部リンク

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 『戦国・織豊期城郭論』174頁
  2. ^ a b c d e 「 周山城跡―明智光秀が築いた山城―」(『リーフレット京都』374号、2020年)
  3. ^ a b 『日本の山城100名城』96~97頁
  4. ^ a b 小和田 2021.
  5. ^ 『ここまでわかった明智光秀の謎』127頁~128頁

関連項目

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