呉景略
呉景略(1907年2月5日-1987年8月16日[1])は、中国の古琴家である。名は韜、号は緝叟・縵叟、「虞山呉派」の創設者。
生涯
編集清の江蘇常熟出身。少年の頃、呉景略は趙剣侯・周少梅・呉夢非について音律を学んでいた。また中国絵画を蕭退庵と樊少雲に学んでいた。1930年、呉景略は王端璞・李明徳について古琴を学んでいた。李明徳は査阜西に呉景略を紹介し、呉景略は今虞琴社を参加した。1950年代、呉景略は上海で「策声琴韵室」を成立し、上海と常熟で古琴を教えた。[1][2][3]
1953年、呉景略は中央音楽学院音楽研究所の研究員に担当し、3年後中央音楽学院の教授に担当した。文化大革命が原因で、呉景略は学院を離れ、上海の娘の家で居候した[4]。生活に困られていた呉景略は自ら収集した古琴を安売りした[3]。
文化大革命の後、呉景略は中央音楽学院に帰って、中国文学芸術連合会・中国音楽家協会・北京古琴研究会を参加した。1987年8月16日、肺癌のため北京で死去した。
家族
編集脚注
編集- ^ a b c ““琴坛一代宗师”吴景略”. 中國古曲網 (2006年7月29日). 2015年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月26日閲覧。
- ^ ““国际古琴音乐文化周——暨纪念古琴大师吴景略诞辰一百周年”即将举办”. 中央音楽学院 (2013年1月17日). 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月26日閲覧。
- ^ a b c 吴宁 (2015年11月17日). “怀念我的古琴老师吴景略先生”. 七弦古琴网. 2016年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年10月26日閲覧。
- ^ “吳景略軼事”. 新民晚報 (2013年5月3日). 2016年12月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月26日閲覧。