呂秀蓮

中華民国第8代副総統

呂 秀蓮(りょ しゅうれん、ろ しゅうれん、1944年昭和19年〉6月6日 - )は、中華民国台湾)の政治家民主進歩党(民進党)の代表的な政治家で、陳水扁総統のもとで副総統を8年間務めた。

呂 秀蓮
副総統として公開された公式写真(2000年)
生年月日 (1944-06-06) 1944年6月6日(80歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下台湾 新竹州桃園郡桃園街
(現・桃園市桃園区
所属政党 民主進歩党

当選回数 2回
在任期間 2000年5月20日 - 2008年5月20日
総統 陳水扁

民主進歩党
主席(代理)
在任期間 2005年12月8日 - 2006年1月15日

桃園市の旗 第10代 桃園県長
当選回数 2回
在任期間 1997年3月28日 - 2000年5月20日
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呂 秀蓮
職業: 政治家
各種表記
拼音 Lǚ Xiùlián
ラテン字 Lu Hsiu−Lian
台湾語 Lū Siù-liân
Lī Siù-liân
和名表記: りょ しゅうれん・ろ しゅうれん
英語名 Annette Lu
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来歴

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日本統治時代の台湾新竹州桃園郡(現・桃園県)生まれ。台湾大学法学部卒業後、渡米し、イリノイ大学及びハーバード大学で法学修士を取得。留学中に接した現地の婦人団体の活発な活動に感銘を受け、帰国後台湾で女性の地位向上のための社会運動を進めるべく、何度か婦人団体立ち上げを試みるものの、当局の介入によりいずれも挫折する。

やがて民主化勢力(いわゆる「党外」)の政論月刊誌『美麗島』の創刊に参画し、副社長に就任。1979年12月10日高雄市の人権集会での演説を理由に、施明徳黄信介林義雄らと共に反乱罪容疑で逮捕され、懲役12年、公民権終身剥奪の判決を受けた(美麗島事件。後に総統となる陳水扁は弁護団の一人)。5年間の服役の後、甲状腺癌の治療を理由に仮釈放された。服役中に書いた小説「這三個女人」(三人の女性)が2008年4月にテレビドラマ化されている。

1992年、桃園地区から立法委員に当選し、1994年2月の第3回世界婦人サミットの誘致に尽力するなど、主に外交と婦人問題の分野で活躍した。1996年には李登輝政権下で総統府国策顧問中国語版に招聘された。翌年の劉邦友桃園県長殺害に伴う補欠選挙に出馬、圧倒的な強さで当選し県長に就任した。

2000年総統選で、民進党総統候補である陳水扁の指名を受け、副総統候補として出馬。中国国民党連戦蕭万長親民党宋楚瑜張昭雄らとの激戦の末、500万票近くを獲得して当選し、台湾史上初の政権交代をもたらすとともに、自らも史上初の女性副総統(第8代)に就任した。就任後まもなく「一つの中華」をもって「一つの中国」に代替する構想を掲げ、訪中の意欲を表明したが、中国当局の「民進党政権相手にせず」の政策により実現しなかった。

2004年総統選では、陳水扁と再選を目指して出馬。連戦・宋楚瑜の野党コンビを相手に終盤近くまで苦戦が伝えられる中、投票直前の3月19日台南市で遊説中に狙撃され負傷した。結局、連戦・宋楚瑜コンビに3万票あまりの僅差で辛勝し、同年5月20日副総統に留任した[1]。2期目就任後まもなく、中米3カ国を歴訪している。2005年には民主太平洋連盟を創立、現在も理事長を務めている。

副総統在任中は「二つの中国」を公然と主張し、「一つの中国が中華人民共和国のことを指すなら、台湾人は当然中国人ではない」といった発言をするなど、歯に衣を着せぬ物言いがしばしば中国を刺激し、李登輝、陳水扁らと並び、中国から台湾独立派の急先鋒として「国の恥」などと激しい非難を浴びた。

2007年9月21日、首長特別費(交際費)を偽造した領収書で引き出し、不正に使用したとして横領罪などの容疑で、游錫堃民進党主席、陳唐山国家安全会議秘書らと共に検察当局(最高検察署)に起訴された。その後、逮捕された陳水扁前総統に対しては批判的なスタンスをとっている。

副総統退任後まもない2008年6月に訪日し、「日本BPW連合会設立50周年記念フォーラム」に出席、日本の政界関係者とも会談した。2009年1月には、新聞「玉山午報」を創刊する意向を表明[2]。また、1990年以来2度目の中国訪問にも意欲を示しており、中国側も歓迎の意向を表明している[3]

その他

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兄は弁護士呂伝勝[4]朱立倫とは遠い親戚である[5]

脚注

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  1. ^ 当初、この狙撃事件が同情票につながったとする説(自作自演説)が流れたが、台湾では浮動票が極めて少なく、世論調査にも狙撃事件の投票行動に対する影響は現れていないことから、否定する見解も有力である。
  2. ^ http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=74479[リンク切れ]
  3. ^ 【ニュース】呂秀蓮前副総統が中国訪問に意欲”. 台湾の声 (2009年3月7日). 2011年11月16日閲覧。
  4. ^ 呂秀蓮兄長呂傳勝過世 臉書悲憶美麗島大審哥哥辯護翻案往事|蘋果新聞網|蘋果日報” (中国語). AppleDaily (2021年1月26日). 2022年9月2日閲覧。
  5. ^ 挺朱立倫進總統府?呂秀蓮隔日改口「開玩笑的」” (中国語). 民視新聞網 (2021年3月21日). 2022年9月2日閲覧。
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