君島寛
君島 寛(きみじま ひろし、1948年(昭和23年)7月8日[2] - 2019年(平成31年)3月9日)は、日本の政治家。栃木県那須塩原市長(1期)。
君島 寛 きみじま ひろし | |
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生年月日 | 1948年7月8日 |
出生地 | 栃木県黒磯市(現・那須塩原市) |
没年月日 | 2019年3月9日(70歳没) |
出身校 | 日本大学法学部政治経済学科 |
前職 |
那須塩原市副市長 自民党那須塩原市支部幹事長[1] |
所属政党 | 無所属 |
称号 | 旭日双光章 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2016年1月22日 - 2019年3月9日 |
来歴
編集栃木県黒磯市(現・那須塩原市)出身。栃木県立黒磯高等学校を経て日本大学法学部政治経済学科に進む。ホテルのコックとして既に内定を得ていたが、父親から「明日は市職員の採用試験だ。帰ってこい」と言われ、方向転換を余儀なくされる[3]。1971年(昭和46年)4月、黒磯市役所に入庁。
2003年(平成15年)4月から2004年(平成16年)12月まで黒磯市・西那須野町・塩原町合併協議会事務局長を務める。2005年(平成17年)1月1日、黒磯市は西那須野町、塩原町との新設合併を行い、那須塩原市が発足。2007年(平成19年)4月、那須塩原市副市長に就任。2011年(平成23年)3月、副市長を辞任[4]。
2012年那須塩原市長選挙
編集2011年(平成23年)12月4日、栗川仁市長が胸部大動脈瘤破裂のため死去。君島は副市長を退職後陶器づくりを楽しむ心づもりでいたが「遺志を継ぐのは自分の他にいない」と決意し[3]、2012年(平成24年)1月22日に行われた市長選に出馬。県議時代みんなの党に所属した阿久津憲二に114差で敗れ、落選。
※当日有権者数:93,646人 最終投票率:50.12%(前回比:pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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阿久津憲二 | 68 | 無所属 | 新 | 23,211票 | 50.12% | |
君島寛 | 63 | 無所属 | 新 | 23,097票 | 49.88% |
2015年那須塩原市長選挙
編集2015年(平成27年)12月27日執行。前回僅差で敗れた現職の阿久津を下し初当選した。2016年(平成28年)1月22日、市長に就任[5]。
※当日有権者数:94,133人 最終投票率:46.86%(前回比:-3.26pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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君島寛 | 67 | 無所属 | 新 | 27,047票 | 62.14% | |
阿久津憲二 | 72 | 無所属 | 現 | 16,479票 | 37.86% |
死去
編集2018年12月4日に体調不良を訴えて同月8日より入院し、十二指腸狭窄症などの診断を受けていたが[6]、2019年3月9日、胆嚢がんのため死去。70歳没[7]。その後、副市長の片桐計幸が職務代理者となった[7]。旭日双光章追贈[8]。
脚注
編集- ^ “那須塩原市長選 君島氏が出馬表明”. 下野新聞: p. 1. (2015年9月4日)
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、86頁。
- ^ a b “那須塩原市長選 候補者の横顔 /栃木”. 毎日新聞. (2015年12月22日) 2016年7月20日閲覧。
- ^ 市長プロフィール |那須塩原市
- ^ “那須塩原市長選 市長に君島氏、大差で雪辱 阿久津氏、引退表明 /栃木”. 毎日新聞. (2015年12月29日) 2016年7月20日閲覧。
- ^ “君島・那須塩原市長が3月議会を欠席 入院長引く”. 産経新聞. (2019年2月16日) 2019年3月9日閲覧。
- ^ a b “栃木・那須塩原市の君島寛市長死去 昨年から入院中”. 産経新聞. (2019年3月9日) 2019年3月9日閲覧。
- ^ 「叙位叙勲」『読売新聞』2019年4月6日