沖縄県立名護高等学校
沖縄県立名護高等学校(おきなわけんりつ なごこうとうがっこう、英: Okinawa Prefectural Nago Senior High School)は、沖縄県名護市大西五丁目にある公立の高等学校。
沖縄県立名護高等学校 | |
---|---|
沖縄県立名護高等学校 | |
北緯26度36分8.11秒 東経127度59分6.66秒 / 北緯26.6022528度 東経127.9851833度座標: 北緯26度36分8.11秒 東経127度59分6.66秒 / 北緯26.6022528度 東経127.9851833度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 沖縄県 |
学区 | 国頭学区 |
設立年月日 | 1928年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
設置学科 | 普通科 フロンティア科 |
学校コード | D147220900010 |
高校コード | 47115B |
所在地 | 〒905-0018 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
校訓
編集知性、感性、個性
- 一 知性を研こう 「Intelligence」 知識を知恵に変え、たくましく生きていく人間の育成を目指します
- 一 感性を鍛えよう「Sensibility」 心身の鍛練を通して感性の世界を深める人間の育成を目指します
- 一 個性を育てよう 「Personality」 個性を育成し、集団の発展に貢献する人間の育成を目指します
沿革
編集戦前
編集- 沖縄県立第三高等女学校
- 1920年 - 国頭郡各村組合立実科高等女学校として創立(当初は国頭郡各村組合立実習補助学校だったが、認可時に改称)
- 1924年 - 国頭高等女学校に改名
- 1930年 - 沖縄県立第三高等女学校に改名
- 沖縄県立第三中学校
- 1928年 - 沖縄県立第三中学校開校
戦後
編集設置学科
編集フロンティア科
編集- フロンティア精神(開拓精神・進取の気性)
- フロンティア科は進学をさらに強化するために、特進クラスよりもさらに質の高い教育課程を編成し、また海外研修や高大連携等を推進するなど、一段高い進学に特化した学科である。
- 早朝講座
- 夏季講座
- 週に4日間 7校時
普通クラスに比べおよそ300時間以上年間授業数が多いのが特徴である。
- 文系探究科では、英語・数学・国語・社会の授業が充実していて、2年生では「時事英語・スペイン語・中国語・韓国語」の中からひとつを選択することができる。
- 海外研修
- 行き先 カナダ
4泊6日の日程で、他国文化に直に触れ、さらに他国への関心を高めることによって、その体験を将来の進路につなげて考える力をつけさ せることを目的に実施。フロンティア科は全員参加。 ブリテッシュコロンビア大学、ラングレー高校などを訪問し、ホームステイを経験する。
※ 平成27年、平成28年入学者は2学年の11月実施。研修場所はカナダ(バンクーバー近郊)。課題研究(理系)と文系探究(文系)を通して探究心やプレゼンテーション能力の育成を図っている。
- フロンティア科設置は県内初
進学先
編集- 県内外の国公立大学
- 私立大学
(少数ではあるがアメリカの州立大学など海外への進学者もいる)
普通科
編集- 海外研修
- 海外研修は希望者のみ
- 令和元年は台湾へ海外研修。
部活動
編集通学
編集寮生は自転車や徒歩での通学。
著名な出身者
編集参考
編集その他
編集名護高フロンティア科は4Kと同レベル。
※県立開邦高等学校(Kaiho)、県立球陽高等学校(Kyuyo)、県立向陽高等学校(Koyo)、那覇国際高校(Kokusai)の公立進学校はまとめて4Kと呼ばれている。
1982年に現在地へ移転後、大南の旧高校跡は旧校舎が沖縄県北部合同庁舎の仮庁舎として1990年頃まで使用されたあと解体され、同じ場所に1993年現庁舎が完成。一方旧体育館は名護市へ移管され、現在は、建物の老朽化より解体され、駐車場になっている(近くにある21世紀の森体育館とは別、また名桜大学開学時の最初の1年間は学内体育館がなかったため、体育講義などは主に市営体育館を使用していた)[要出典]。
2008年に創立80周年記念事業の一環としてワゴン車などが贈呈され、部活動などに活用している。
脚注
編集- ^ “フロンティア科 Q&A”. 沖縄県立名護高等学校. 2019年12月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “復帰50年特別番組 土の記憶 ~沖縄球児と甲子園~”. 琉球朝日放送 (2022年). 2024年7月10日閲覧。