吉野 (ゲイバー)
(吉野寿雄から転送)
吉野(よしの)とは、吉野ママこと吉野寿雄が、1964年(昭和39年)に東京・六本木の雑居ビル2階に開いたゲイバーである。当初は7坪ほどの小さな店だった。各界の著名人らが訪れたが、六本木ヒルズ建設に伴う立ち退き移転を迫られたため、2002年(平成14年)に閉店した。
吉野を訪れた著名人
編集政界、財界人のほか、芸能界・スポーツ界からは、美空ひばり、石原裕次郎、高倉健、長嶋茂雄、坂本九、泉ピン子、沢田研二ら数多くの人々が訪れた[1]。
吉野寿雄の略歴
編集小学校の頃、男らしさを求められることに違和感を覚える[1]。高等科を卒業する(今の中学2年生)直前、東京大空襲に遭う。何度も焼け出され、転々としたが、幸い家族は無事で練馬の江古田で終戦を迎えた[1]。
17歳で銀座のダンスホール「美松」でボーイとして働き出すが[1]、"おしまママ”こと島田正雄にスカウトされ、島田が新橋の烏森神社境内で始めた日本初のゲイバー「やなぎ」に移る[1]。やなぎには江戸川乱歩、ミヤコ蝶々、アラン・ドロン、ピエール・カルダン、イブ・サンローランなどの著名人も訪れた。
美松で働く合間に出入りしていた数寄屋通りの喫茶店兼倶楽部「ブランシック」で三島由紀夫と知り合う[1]。三島の小説『禁色』の中で、自分ほどの美少年はいないと思っている“オアシスの君ちゃん”のモデルは吉野である[1]。ブランシックではボーイとして働く美輪明宏とも出会った[3]。
31歳で独立し、銀座に「ボンヌール」を開店。1964年の東京オリンピック開幕間際、六本木に「吉野」を開店するが[1]、六本木ヒルズの開発に伴う立ち退きを機に、2002年閉店した[1]。
2020年(令和2年) 7月に公開のはるな愛による映画初監督作品『mama』では、主演を務めた[4]。
出演
編集- テレビ
- ラジオ
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- 安住紳一郎の日曜天国(TBSラジオ) - 2013年から年末(12月)に出演
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i “人間ドキュメント 美空ひばりや高倉健も通った六本木の“ゲイバー”、戦争と差別に耐えた「伝説のママ」”. 週刊女性PRIME. (2021年11月6日) 2022年7月3日閲覧。
- ^ “美川憲一、神田うのとともに“吉野ママ”の90歳バースデーを祝福 うの娘はバイオリンを披露”. ねとらぼエンタ. ITmedia Inc. (2020-1201). 2022年12月18日閲覧。
- ^ 「サービスの達人たち」(新潮文庫・旧タイトル「日本のおかま第一号」)及び新潮45-2005年9月号「三島由紀夫に長嶋茂雄…名物ゲイバー吉野のママが語る隠花植物的人性」
- ^ a b “mama : 作品情報”. 映画.com. 2021年6月1日閲覧。
- ^ 網走番外地 北海篇 - allcinema
- ^ 網走番外地 大雪原の対決 - KINENOTE
参考文献
編集- 野地秩嘉『日本のおかま第一号―あなたは仕事に誇りをもっていますか?』メディアファクトリー、1999年3月。ISBN 978-4889918038
- 野地秩嘉『サービスの達人たち』新潮文庫、2008年10月。ISBN 978-4101362519