吉蔵

中国六朝時代末から唐初期にかけての僧

吉蔵(きちぞう、549年 - 623年)は、中国六朝時代末から初期にかけての。俗姓は安氏で、先祖は安息国の人。金陵(江蘇省南京市)の出身。嘉祥大師とも言う。

吉蔵
549年623年
諡号 嘉祥大師
宗派 三論宗
寺院 嘉祥寺、慧日道場、日厳寺
法朗
弟子 慧灌
著作三論玄義
テンプレートを表示

生涯

編集

父も出家しており、道諒という僧であった。父について真諦三蔵のもとに行き、出家して吉蔵と名づけられた。12歳の時に三論宗の法朗の講義を聴き、翌年に出家した。

21歳で具足戒を受け、百越征討の際に、会稽の嘉祥寺に住しており、三論を究めた。嘉祥寺に住したことから、嘉祥大師の名がある。開皇17年(597年)には、天台智顗と交際した。

以後、煬帝の命により、揚州の慧日道場・長安の日厳寺で三論や法華の布教や講説を行い、煬帝を初め多くの信者を得た。この間に三論教学を大成している。また、戦乱中に博捜した様々な文献を用い、大乗経典の研究を行った。

代になると、実際寺・定水寺・延興寺などに住した。

日本三論宗を伝えた慧灌など、数多くの弟子がいた。

参考書籍(著作注解)

編集
6)ISBN 978-4-500-00263-4、7)ISBN 978-4-500-00264-1
上)ISBN 978-4-8043-1102-9、下)ISBN 978-4804311036

伝記資料

編集