吉田正 (実業家)
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吉田 正(よしだ ただし、1896年(明治29年)10月20日 - 1969年(昭和44年)8月19日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。
吉田正 よしだ ただし | |
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生年月日 | 1896年10月20日 |
出生地 |
日本 長野県北安曇郡池田町村 (現・長野県北安曇郡池田町) |
没年月日 | 1969年8月19日(72歳没) |
出身校 | 上海東亜同文書院商務科卒業 |
前職 | 全国農業会常務理事 |
所属政党 |
(翼賛政治会→) (日本協同党→) 右派社会党 |
子女 | 二男・吉田亮 |
選挙区 |
(長野4区→) 旧長野4区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1942年4月30日 - 1945年12月18日 1952年10月1日 - 1953年3月14日 |
経歴
編集長野県北安曇郡池田町村(現池田町)生まれ。旧制大町中学(現長野県大町高等学校)を経て、上海東亜同文書院商務科卒業。一旦は岩井産業(現日商岩井)に入社するが、すぐに帰郷し、1925年旧制池田実科中学(現長野県池田工業高等学校)教諭となる。
その後、農業界に転身し、全国農業会の常務理事として活躍する。同時に「協同党」を結成し、農民の代表として長野県第4区から第21回衆議院議員総選挙に当選する。
戦後、大政翼賛会の推薦議員のため公職追放となった[1] 。追放解除後の第25回衆議院議員総選挙では日本社会党右派から立候補して当選。次の第26回衆議院議員総選挙で落選。その後は農山村問題の現実に取り組み、有畜農業の重要性に着眼し、名古屋製糖社長の横井広太郎の協力を得て1953年に協同乳業を創業した。次男の吉田亮は医学者で元千葉大学学長。
脚注
編集参考文献
編集- 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年。ISBN 9784876631261