吉田城 (常陸国)
概要
編集半島状台地には三方(一つは旧千波湖)を沼囲み、森林が茂り、武士の居館として最適な要害であった。正確な年代はさだかではないが、平安時代後期に築城されたと推定される。大掾盛幹が初め館を建てて吉田氏を称してこの地を統治した。
しかし応永23年(1416年)になると水戸は江戸氏の支配下になり、吉田城は江戸氏のものとなる。その際、土塁や濠を強化したと推定される。他方、天正18年(1590年)江戸氏が佐竹義宣に攻略されると水戸は佐竹領となり、同城も佐竹氏の統治下となる。佐竹氏は水戸城の増築と城下町の整備に力を入れ、吉田城は水戸城の支城としての性格が強まる。重臣である車斯忠(車丹波)に吉田城は与えられた。
関連項目
編集座標: 北緯36度21分26.6秒 東経140度29分22.4秒 / 北緯36.357389度 東経140.489556度